何度、我が王妃を救えぬ夜を繰り返したか…数えるのを途中でやめた。
『MA』こと、ミュージカル『マリー・アントワネット』のDVDを観て、ようやく落ち着いて?感想が書けるようになったので、まとめてみた。
(ちなみに、我が家はM Ver. のみ購入。劇場では、すべてゆん花コンビで観劇。)
長くなりそうなので、記事を分けることにする。まずは前編(ACT1)から。
- Wフェルセンの違い
- パレ・ロワイヤルのマリーに一目惚れ
- バルコニーのシーンはロマンティックが止まらまい
- 名曲であり難曲の「100万のキャンドル」
- ドレス選びのマリーに感じる宝塚感
- 民衆とエベール
- 「明日は幸せ」は涙腺を崩壊させる
- マリーへの中傷
- 感情が渋滞するプチ・トリアノン
- 夏の夜の舞踏会
- マリーとルイ
- 「もう許さない」
- マリーとフェルセンの別れ
- 回りだした運命の歯車
- まとめ
Wフェルセンの違い
初の万里生フェルセン(田代万里生さん)だったんだけれど、初っ端からゆんフェルセン(古川雄大さん)と全然違う!
歌の伸びやかさはもちろん、中低音がフランツの時よりもさらに響いていて、とても心地良かった。
- 「彼女は裸にされた」のところで、どっちのフェルセンも苦しそうにするのたまらない…。
- 「王妃と知らずに」の部分で、仮面の下を見て、はっ!と目を開いて、嬉しそうにするのが意外だった。
※あそこは、ゆんフェルセンだと哀しそうな表情をしていた気がするので、そこも違いが出ていて面白い。
万里生フェルセンの場合は、王妃にお目にかかれた光栄さを表す笑みなのか、純粋な尊敬の気持ちからなのか、とにかくあの一瞬、幸せが過るのは興味深かった。
「世間知らず、無邪気な私のマリー・アントワネット」
ここは何回聞いても、ぐっとくる。
「私の」が入ることによって、
- フェルセンがマリーを女性として誰よりも愛していたこと、
- 彼女を一番理解していたのは自分であるとの自負、
- 彼女に対する秘められた独占欲
といった様々なフェルセンの心情を推し量ることができる。
叶わぬ恋、届かない人、許されぬ想いとわかっているからこそ、決して、表には出せなかった感情が、この1フレーズに集約されている感じが好き。
パレ・ロワイヤルのマリーに一目惚れ
「ボンソワール♪」
第一声で花マリー(花總まりさん)に心を奪われてしまって、彼女が笑うと周りに花が咲くような、そんな感覚にとらわれる。
私は、舞台で観たときにもマルグリットに共感することはなかった。
もちろん彼女たちの苦しみもダイレクトに伝わってはくるし、マリーに罪がなかったとは思わないけれど。
あ、マルグリットはマリーのことを誤解しているんだなと感じてしまって、その絡んだ糸を解いて!と願ってしまう。
最初から最後まで、フェルセンに共鳴していたのは、ここでマリーの虜になってしまったからだろう。
- 美しい扇の動き
- 洗練されたドレス捌き
この境地にたどり着くのは容易ではない。その苦労を観客に感じさせない花さんは、やはり凄い役者さんだと思う。
マルグリットにシャンパンを勧めるシーン。私は花マリーから、馬鹿にしたような雰囲気は感じなかった。
誰であろうが分け隔てなく、純粋に飲み物を勧めただけ。
立場の違いから、マルグリットのことを見下していなかったかといえば、違うだろうけれど…。
そこに悪意は感じられなかったので、無知だったが故の言動だったように思える。
「ただ神が命じた王妃」の言葉そのままに、あまりに価値観がかけ離れすぎて、本当にマルグリットの怒りが理解できていなかったような、そんな印象。
→この時から、マリーとマルグリットはずっとすれ違っている印象を受けた。
バルコニーのシーンはロマンティックが止まらまい
「あなたに続く道」は甘かった……。観てるこちらまで照れてしまう。
「わたくしも…あなたが恋しかった。」
なんて、あんなにも幸せそうに寄り添われたら、忠告なんてできないよなぁ…。私がフェルセンだったら、そのまま抱きしめてしまいそう。
万里生フェルセンの一筋の涙は、2回目の視聴の際に気が付いたんだけれど、あれはきゅんときた。
幸せがあふれ出して、思わずこぼれる涙ってあんなに美しいんだなと。
マリーのために、と自分を律して忠告をしようとする万里生フェルセンの、その生真面目さが素敵だし、律しきれずにマリーの言葉を噛みしめるように天を仰ぐのも、愛がダダ漏れで素敵だった。
そして何より、2人が手を取り合うところ、手をアップにしてくれたカメラマンに金一封送りたい。
万里生フェルセンの白手袋をつけた大きな手と、穢れを知らない白くて華奢な花マリーの手が重なる瞬間、どんなラブシーンをみたときよりも、きゅんきゅんしてしまい、初めて観たときは、うひゃっ!と変な声が出た。
※あと、『エリザベート』のときから思っていたけれど、この2人は声の相性も良い。
ゆん花にも同じことを感じたが、こちらの場合は似た者同士だからこその良さがあり、まりまりに関しては、また違った重なり具合というか、異なる質を持っているからこその相性の良さが感じられて、美しかった。
名曲であり難曲の「100万のキャンドル」
昆マルグリット(昆夏美ちゃん)は、環境により歪んでしまった部分と、本来持っている純粋さ・優しさが不安定に混在しているイメージ。
役の持つ激しいパワーだけに頼らずに、その心の揺れ動きが、細やかに、丁寧に表現されているなと感じた。
あと、やはり歌の安定感が素晴らしい。
ちゃんと芝居歌になっているのに、ぶれない。
「100万のキャンドル」は作品の中でも、印象的なナンバーのひとつだが、個人的には昆マルグリットの歌い方がかなり好きだった。
静かながらも、”沸々と煮えたぎる思いを腹に抱えていて、それが歌声だけでも感じ取れる。
大好きな昆マルグリット。
ドレス選びのマリーに感じる宝塚感
花マリーとみほこランバル(彩乃かなみさん)のやりとりが可愛い。
もう、本当にずっと可愛い。
宙組時代からのファンとしては、この並びがまた舞台で観られるだけで泣きそうなのに、マリーとランバルは心の友だなんて…。
2人が手を取り合って、きゃっきゃしているのを眺めているだけで、私は幸せになれる気がする。
「輝ける王妃」のシーンは、まるで宝塚時代のショーの一部分を観ているかのような感覚だった。
幸せな笑顔の花マリーが可愛すぎて、この時間がずっと続けばいいのに、と思ってしまう。
この曲は、個人的にとても好きなので、振りを覚えて踊れるように頑張る。
民衆とエベール
いつもマリーとフェルセン、そしてマルグリットを追うので手いっぱいだったので気がつかなかったけれど、1幕のエベールは、そこまで悪い奴に見えない。
2幕の、目が血走って、革命に憑りつかれているときとは顔立ちがあまりにも違っていて、さかけんさん(坂元健児さん)も恐ろしい人だ……と思った。
本当に憎かったエベール……。
あと、フェルセンとマルグリットのシーンで驚いたのは、万里生フェルセンの雰囲気。ここも、ゆんフェルセンと全然違う。
ゆんフェルセンが色濃い陰を背負うフェルセンならば、
万里生フェルセンは、誠実で優しさを持つ、
陽の部分を具現化したフェルセンのように感じられた。
万里生フェルセンは、ちゃんと、マルグリット自身を見ていた。
おそらく万里生フェルセンの場合は、言葉通り、マルグリットの根っこの部分に、マリーに似たところを見出していたから、気にかけていたんだなという印象。
⇔一方のゆんフェルセンは、良くも悪くも、マリー以外には全く興味を持っていなさそうで、マリーのために利用できるもの、それが偶然マルグリットであっただけ、という印象。
ある種、サイコパスのような、仄暗い部分を感じさせる芝居で、フェルセンを陰の部分をうまく活かして、演じているように思えた。
こんなにも違うのに、どちらも納得できるフェルセン像であり、どちらも共通して、マリーへの愛が底なしに深いのがたまらない。
「明日は幸せ」は涙腺を崩壊させる
このあとの苦しい展開を知っているからこそ、「明日は幸せ」で、幸せな国王一家をみては泣けてくるようになってしまった。
花マリーのルイや子どもたちに対する思いが、優しい歌声にぎゅっと詰まっていて。
マリーが「ルイ」と呼びかける声には、たしかに愛が存在していて、そこに偽りがないことがわかる。
フェルセンへの燃えるような狂おしい愛とは異なる、穏やかで包み込むような愛を家族に対しても抱いていたんだなと思うと、「ただ無償の愛に生きた」のフレーズがとてもしっくりときた。
マリーへの中傷
替え歌を作るシーンは、あまりに軽率で愚かな中傷に、むかむかしてしまった。
基本的に、フェルセン目線なので、憎きオルレアン公、憎きエベール、憎きロアン大司教、憎きラモット夫人……という感情しか湧かず。
でも、みつオルレアン(吉原光夫さん)も歌が上手い!声量はおばけだし、曲が何気に格好良くてずるい。
感情が渋滞するプチ・トリアノン
「あげて、さげて、とんとんとん♪ トレビアーン♪」
花マリーが可愛すぎて、悶えた。
その様子を見守る万里生フェルセンが微笑んでいるのも納得。
あれは、可愛すぎる。
マリーとランバルとのアイコンタクトが、女友達という感じがして和むし、一生懸命に説明するマリーのことしか見つめていないフェルセンがいい!
「アヒルが見える?」と問われても、マリーしか見てない。
強火マリー担という感じがにじみ出ていて、微笑ましい限り。
「遠い稲妻」 は、いつもマリーの挙動ばかり追っていたので、気がつかなかったが、こうして映像で観ると、たしかにマリーは、全然話を聞いてないから、フェルセンが怒るのもやむなしだったんだなと。
「あなたの所有物ではない!」
このセリフもきつかった…。
マリーはフェルセンにそばにいて欲しい一心で、2人の間には必要のない、「命令」という言葉を口に出してしまう。
それがフェルセンにとっては、一番聞きたくない言葉だったんだろうな……。
「孤独のドレス」は、とても好きなナンバーで、このシーンの花マリーは劇場で初めて観た日も、楽日も鳥肌が立った。
花さんの地声の歌唱が、どんどん凄みを増していて、それに驚かされた。
ただ歌うだけではなく、そこに、セリフや気持ちが、自然に落とし込まれていく様は、何度体感しても圧倒的。
歌いだしから歌い終えるまで、1曲の中での感情の動きが全身から伝わってきた。
マリーの感じている孤独や、フェルセンへの想いが流れ込んできて、切ない。
夏の夜の舞踏会
美しい。
シーン全体が美しいけれど、仮面をつけていてもわかる花マリーの美しさと高貴さは、永久保存版。
「もしも」は、メロディーラインが幻想的で、マリーとフェルセン、マルグリットとオルレアンという対照的な2組が、同じメロディーを奏でるのが面白い。
同じメロディーを奏でているのに、雰囲気が全く別の色をしているのが印象的。
昆マルグリットの歌声が、キーの関係もあるけれど、ちゃんと舞踏会仕様になっているのがよかった。
マリーとルイ
なんと言っても、「ヘビを殺して」の花マリーが怖い。
フェルセンがマリーに忠告をしても、届かない。
マリーがルイに忠告をしても、届かない。
この切ないすれ違いが、どんどん事態をまずい方向へと転がしてしまう。
ロアン大司教に対するマリーのセリフの冷たさに、身が凍るような気分だった。
「ムッシュ、わたくしたちは敵同士です。」
無償の愛のひとであるマリーから、これほどの嫌悪を向けられるとは。
マリーも、嫌いなもの、自らを侮辱したものに対しては、冷酷さをみせていて、そこから王妃としてのプライドの高さが垣間見えた。
「もう許さない」
これも印象的なナンバーで、民衆のパワーに圧倒された。
その中で、中心となるマルグリットの歌声が突き抜けてくる迫力は凄まじい。
民衆の怒りにも一理ある状況だが、首飾り事件がねつ造であること、マリーを貶めるための罠だとわかっていながら、民衆の先頭に立つマルグリットも、このときからすでに、民意という濁流にのまれつつあったのではないかと感じる。
マリーにシャンパンをかける前、必死に飢えを訴えていた彼女であっても、この方法を選んだのか。
そこでマルグリットが感じた、個人的な妬みの感情が、彼女の中の正義を少しだけ歪めてしまったのかもしれない、と感じた。
マリーを含む、王族や貴族はたしかに間違っている。
しかし、嘘で彼らを貶めたところで、上に立つ者が変わるだけで、また同じことが繰り返されるのではないか。
そのやり方では、何も変わらないのではないか。
そこは、作品全体を通しての難しい問いかけだ。
もしもの話、首飾り事件がなければ、国民の訴えに国王が耳を傾けない、なんてことにはならなかったかもしれない。
首飾り事件がなければ、国民の怒りの感情が、マリーひとりに執着することもなかったかもしれない。
復讐の感情、怒りの感情、憎しみの感情に囚われてしまった人々が、優しさや理性を失い、加害側に回ってしまう恐ろしさを、改めて突き付けられた気がした。
マリーとフェルセンの別れ
「私たちは泣かない」で、花マリーの泣き顔に、思わず泣かないで、と駆け寄りたくなってしまった。
歌いだしの「泣かないで」は、完全にフェルセンと同じ気持ちだったと思う。
背中をポンポンする万里生フェルセンが、シシィを慰めるフランツに重なって、さらにきゅんとした。
涙ぐみながらも、フェルセンの愛を信じるマリーの姿が切なくて…。
2人が引き離されるシーンで、花マリーの口元が「…アクセル…。」と動いているのがみえて、あまりに苦しくて胸が詰まった。
回りだした運命の歯車
民衆の迫力に押されがちだが、新聞を投げ捨てるマリーが男前だなという間の抜けた感想を抱いてしまった。
ルイが「もしも鍛冶屋なら」なんて歌うから、若干気が抜けてしまうが。
後ろから心配そうにマリーを見つめるルイも、ここにきて、何かが動き始めていることに気づいていて、それが、この先の悲劇を予見させて辛い。
まとめ
書き出すといつも分量が増えてしまう…。
後編書き終える頃には、屍になっていそうだけれど。
DVDの感想は、まりまりコンビの感想に寄るから、今度、書き溜めてあるゆん花楽日の感想も、今さらながらまとめてみようかなと思っている。
後編もお楽しみに。