ミュージカル『マリー・アントワネット』のDVDの感想、後編へ(ACT2)。
(M Ver. のみ購入。)
- 嘘の記事が書かれた新聞
- マリーとフェルセンの文通
- ベルサイユ宮殿へ向かう民衆
- マリーとランバル
- マリーの人となりを知っていくマルグリット
- マリーとフェルセンの再会
- マルグリットとフェルセン
- フェルセンの逃亡計画
- タンプル塔でのマリーとマルグリット
- ランバルの死、そして…
- マルグリットとフェルセン、そしてマリーの”ラブレター”について
- 最期の逢瀬
- 息子との別れ
- 裁判
- 処刑、そして…
- まとめ
嘘の記事が書かれた新聞
オルレアンとエベールによって、マリーや王室に関するデマばかりの新聞が発行される場面。
フェルセンと共鳴しているので、彼らはマリーを傷つける悪魔にしか見えないのだけれど、「世論を支配しろ」のフレーズで印象深いものがあった。
「愚かなものほど、騙されたがる」
このフレーズは、今の時代にも通ずる、とても鋭い指摘だと感じる。
真実よりも際どいものを求め、真偽を確かめもしない。
この時代から、私たちは何か学べているのか…考えさせられた。
マリーとフェルセンの文通
寝室にいる花マリー(花總まりさん)の美しさが凄まじい。
特にラブシーンがあるわけでもないのに、匂い立つ哀愁としっとりとした雰囲気にのまれる。
ベッドに横たわるマリーの心もとなさが伝わってきて、すぐに彼女を救い出したい衝動に駆られた。
「人々を愛したのに、憎まれ非難される」
マリーが歌うこのフレーズが切なくて、胸が詰まった。
マリーとフェルセンが、それぞれの胸の内にある消せない想いを歌った声が、重なっていくのがとても美しくて。
2人が一緒にいられないことが辛くて、こちらの胸が痛んだ。
「あなたを愛したことが誇りです」
そう歌うマリーの表情があまりに綺麗で、すべて持っていかれた。
ベルサイユ宮殿へ向かう民衆
マルグリットが、女たちをベルサイユ宮殿へ誘うシーン。
マルグリットの必死の演説も聞かず、女たちは行かないという。
マルグリットは困惑していたが、当時の状況を考えると、当然なのかもしれない。
フランス革命による人権宣言で、人権が保障されたのは、男性だけだった。
女性の権利を主張したものは、処刑された。
これが、革命の真実だ。
「自由、平等、博愛」
この言葉を掲げていても、実際には平等なんてものはなかった時代。
MAの中でも、金によってしか女たちは動かなかった。
最初から、正義を求めて闘っていたのは、マルグリット一人だったのではないか。
そう思ってしまうような息苦しい場面で、このあたりから、少しずつ、マルグリットの中に小さなしこりが生まれ始めたのではないかと思った。
マリーとランバル
ランバルが歌う「神は愛して下さる」は、マリーや子どもたちにとっての、唯一の希望の歌にみえた。
王の兄弟でさえ出て行った宮殿に、マリーと子どもたちのために残ると言ったランバルの言葉に、マリーがどれだけ救われたか……。
2人の空気感は、宝塚時代に長年同じ組子として積み上げてきた絶対的安心感と信頼感を醸し出している。
ランバルがマリーと手を取り合うシーンは、いろいろなことを思い返して、毎回うるうるしながらみている気がする。
このランバルの決断が、後に彼女を残酷な死へと向かわせてしまうと思うと、見ていてとても辛い。
ランバルの死から始まる、マリーの哀しみの地獄を思うと、さらに見るのが苦しくなった。
マルグリットたちが乱入してきてからは、追いつめられるマリーをみたくなくて。
子どもたちもいるのだから、そこまでしなくても!と思ってしまうのは、私がフェルセン目線だからだろうか。
「あの女があたしたちに否定したことを教えてやる、正義だ。」
このセリフを吐いたとき、マルグリットはどんな心情だったのか。
フェルセンに共鳴してしまった私にはわかりえないが、憎しみや妬みに身を焦がしていないマルグリットだったならば、自分たちの行動が正義か否かの判断は違っていたように思える。
私は、マリーを死なせたくないが故に、他に方法があったのではないかと思ってしまうけれど、この時代に何かを変えるためには、犠牲が必要だったのではないかとも思えて、このあたりのシーンからは、ずっと自問自答しながら、物語を見つめ直していた。
マリーの人となりを知っていくマルグリット
「恐怖政治」のシーンでは、先ほど述べたような女性に対する根強い差別意識が表現されている。
マルグリットをスパイとしてマリーのもとへ送り込むことに難色を示す、ジャコバン派の男たちの心無い言葉に腹が立つと同時に、この時代を生きていた女性たちの苦しみに胸が痛かった。
そして、なんと言っても、マリーとマルグリットによる「憎しみの瞳」が素晴らしい。
楽曲のインパクトはもちろんだが、花マリーと昆マルグリット(昆夏美ちゃん)の声の重なり、ユニゾン部分の圧が凄まじくて、鳥肌ものだ。
まず、歌が始まる前の、花マリーの「マドモアゼル」という呼びかけが絶対零度の冷たさで、背筋がゾクゾクした。
セリフの掛け合いの如く、交わされる歌のバトルがたまらない。
マリーに被せる勢いのマルグリットと、それに努めて冷静な言葉を返すマリーとの対比も絶妙だ。
「私のこと知らないくせに」
「思い込んでる 自分だけ正しいと」
「私のこと決めつけないで 違うというだけで」
特に印象に残ったフレーズを書き出したが、これらは実は、友人同士の喧嘩や、姉妹の喧嘩でもありがちな、誰でも共感できるやり取りだったりするなと感じた。
だからこそ、本当に言葉通り、マリーとマルグリットも互いのことを知らないから、勝手に決めつけて憎しみ合っているだけ。
不思議なもので、お互い、同じことを言っているのに、ぶつかり合っている。
お互いを知る機会がもっと早くにあったなら、この先の悲劇は起きなかったのではないかと思うと切ない。
このシーンで、胸の内をさらけ出して激しくぶつかり合ったことが、マルグリットの今後の心境の変化に、何かしらの影響を与えたのだと感じた。
マリーとフェルセンの再会
フェルセンがやってきたことを知った花マリーが涙声で歌う、「もし王妃でなければ、あなたと逃げたい」のフレーズが切ない。
文通はしていたけれど、2人が会うのはかなり久しぶりであるため、やっと会えたのか……と少しだけ、安堵感を抱いた。
1幕での「あなたに続く道」では、想いがあふれ出しそうなマリーをフェルセンが止める構図が多かったが、ここでそれが逆転しているのがわかる。
「助け出します、きっと」
「あまりに危険すぎます」
このあたりから、マリーが王妃として、母として、研ぎ澄まされていくのに比例して、フェルセンは、マリーを助け出すためにどんどん冷静さを欠いていく。
この関係性の変化も、とても興味深いものがある。
マルグリットとフェルセン
昆マルグリットは、フェルセンに対して、憧れのような感情、また、家族愛に近い感情を抱いているように感じられた。
恋愛感情とは違った何かを抱いているような。
これは、このあとの子守唄のシーンで、マリーへ見せる表情とも近いものを感じた。
ここの感情が恋愛感情ではないように思えるため、最後の「何故彼女?私じゃない」のフレーズの解釈が、なかなか難しかった。
個人的には、マリーへの羨望からくるものなのかなと思っている。
※しかし、万里生フェルセン(田代万里生さん)は、マルグリットに対しても、優しさが感じられるので、マルグリットが恋をしてもおかしくないフェルセンだなとは思う。
実際、昆マルグリットも、ゆんフェルセン(古川雄大さん)のときより、若干、対フェルセンへの雰囲気が柔和になっているように感じられた。
フェルセンの逃亡計画
国王一家は、ランバルとフェルセンの協力を得て、国外への逃亡を試みる。
途中フェルセンの同行を拒むルイに、もどかしい思いをした。
しかし、ルイの気持ちもわからないでもないため、何とも言えない複雑な気持ちだった。
おそらく、ルイの中には本人に自覚があるのかは定かではないけれど、フェルセンへの嫉妬があったのだと思う。
マリーがすべての幸せを手にすることを心から望んではいたが、ルイの中にも葛藤や苦しみがあったのだろうと気づかされて、切なかった。
それでも、マリーの大切なものすべてを守るために、引き下がるわけにはいかないという、万里生フェルセンの気持ちも痛いほどわかる。
⇔このシーン、ゆんフェルセンのときは、ルイがフェルセンに対してもっと強硬だった印象がある。
シュガルイ(佐藤隆紀さん)だったこともあるかもしれないが、ゆんフェルセンの姿勢が一貫して、マリーさえ守れればいいというスタンスだったため、より嫉妬という感情が見えやすかったのかもしれない。
マリーは王妃として、国王であるルイの言葉に従って、そして、愛するフェルセンの身を案じて、別れたのではないかと思う。
レオナールとローズについては、様々な見方ができるが、私はこの2人に悪意があったとは思えなかった。
1幕最初のパレ・ロワイヤルの場面でも、周りの貴族たちがマリーを嘲るように笑っていたとき、彼女たちからはそこまでの悪意を感じなかった。
「輝ける王妃」のシーンもだが、ランバルほどではないとしても、マリーに対してそれなりの忠誠心は持っていたように思える。
最終的には、自分たちの身を守るために国王一家を売る?ような形にはなるが、彼女らにとっては仕方のない選択だったようにもみえた。
「私の妻に触るな!」
ここは、ルイからマリーに対する想いがあふれていて。
ルイはルイなりに、マリーを守ろうとしているのがひしひしと伝わってきて、その愛の深さ故に、正体が露見してしまうのが切ない。
花マリーが王妃としての誇りを捨てずに、凛とした様子でルイに寄り添う姿が印象的。
タンプル塔でのマリーとマルグリット
ルイが歌う「もしも鍛冶屋なら」(リプライズ)が、とても哀しい。
この時代でなければ、国王でなければ、ルイはきっと心優しい鍛冶屋として、家族を守り、穏やかに暮らしていたかもしれない。
そんな叶わぬ幸せを夢見るルイを、後ろから切なげに見つめる花マリーの表情が胸を打つ。
ランバルが教会に行くと言って、出ていくシーンは、哀しい結末がわかっているからこそ、行かないで!と声をあげてしまいそうになる。
シャルル(マリーの息子)とテレーズ(マリーの娘)を寝かしつけるマリーが、「明日は幸せ」(リプライズ)を歌いだすと、涙腺が再度崩壊。
その時のマルグリットの表情も、切ない。
ひどく驚いた表情でマリーを見つめていたマルグリットが、次第に幼い子どものような柔らかい表情に変化していくのを見て、彼女の中に置き去りにされた、幼いころの優しい記憶が溶け出す瞬間を垣間見た。
同じ子守唄を知っているマルグリットを、マリーが不思議そうな表情を浮かべて見つめる。
それに気がついたマルグリットが、戸惑って視線を泳がせる様子が、本当に迷子の子どものようで、見ていて哀しかった。
2人の優しい歌声が、重なり合って、綺麗なハーモニーを生み出す。
「憎しみの瞳」では、同じ重なり合いでも、全く融合することのなかった想いが、ふっとひとつになったような、そんな感覚に陥って、見ているこちらも、マルグリットと同様、戸惑ってしまった。
「あんたの、同情なんていらない」
父親や母親、自分の境遇をマリーに語ってしまったあと、我に返ったように、このセリフを吐くマルグリットが切なくて。
心の底から、マルグリットの境遇を哀しむマリーの根っこの部分の優しさに、マルグリットが触れた瞬間だったように思う。
同じ子守唄を知っていたことが、2人の心を少しだけ近づけたのだろう。
マルグリットに”ラブレター”を託すシーンのマリーには、それまでの敵対心は感じられなかった。
2人のMAの姉妹設定は、最初は正直、蛇足では?と思っていた。
しかし、花さんや昆ちゃんが、心境の変化をこれだけ丁寧に演じてくれたおかげで、この2人はたしかに腹違いの姉妹だった、ということを納得させてくれたので、2人のシーンの解釈がより広がった気がする。
ランバルの死、そして…
2人の心境に少しだけ変化が訪れた直後、外が騒がしくなり、マリーは子どもたちの元へ。
窓際に駆け寄ったルイが、ランバル夫人が殺されてしまったことを告げ、残忍な民衆たちの様子が伝えられるシーン。
マルグリットも、驚いて窓際から飛びのき、思考を整理しているようにみえた。
民衆が貴族を恨んでいる、その気持ちはもちろんわかる。
でも、これが正しいやり方なのか。マルグリットの中の葛藤が表情から伝わってきた。
「あの人たちは人間じゃないわ…獣よ!」
「何百年もあたしたちを動物のように扱ってきて、今さら何を期待しているの」
このやり取りは、作品全体を通しての問いかけに繋がる重要なキーだと感じた。
自分たちが蔑まれてきた仕返し、報復、復讐として、相手に同じことをやり返す。
それは、暴力の連鎖を生み、結局、復讐や報復は終わらない。
まさに、それを表したやり取りである。
このセリフを吐いたマルグリットは、民衆の行為を正義のためのものだと、思い込もうとしているようにみえてならなかった。
ショックに打ちひしがれているマリーに、追い打ちをかけるように、オルレアンがルイを連れていくシーンが続く。
「やめなさい…!」
初めて劇場で観たとき、このシーンの空気を切り裂くような花マリーの声色に、びくりと身体が跳ねてしまった。
それほどまでの強い拒絶を示すマリーを安心させるように、ルイは微笑んで頷く。
そして、自ら部屋を出ていくが、そのあとのマリーの叫びに、さらに胸を締め付けられた。
「王には何の罪もないのですよ!」
「この人は虫さえ殺せないの…!お願いやめて…!やめてちょうだい……」
深読みのしすぎかもしれないが、「”王には”何の罪もない」というマリーの言葉に、まるで、罪を問うなら自分にと言っているような含みを感じて、また苦しくなった。
マリーがひとりで、背負う必要のない業まで、すべて背負ってしまいそうで。
民衆たちを扇動するエベールの、「あの女に子守唄をうたってやろう」というセリフに反吐が出た。
この時のエベールの顔つきはすでに、復讐と革命に憑りつかれたものに変わってしまっている。
最初にマルグリットに声をかけてきた人物とは、全くの別人になってしまったかのようだった。
マルグリットとフェルセン、そしてマリーの”ラブレター”について
マルグリットの元へやってきたフェルセンは、最初こそマルグリットを気にかける素振りを見せていたが、ここではすでに、マリーのことで頭がいっぱいな様子だった。
「あたしの望みは、弱い者に対する公平さと、迫害者に対する罰よ」
そう言ったマルグリットを見ていて、辛くなった。
おそらく、本当に「弱い者に対する公平さ」を求めて闘っていたのは、気づいたらマルグリットだけになってしまったのだと感じたから。
薄々、間違った方向に進んでいることに気がついていながら、目を逸らし続けているマルグリットに、畳みかけるフェルセンをみて、彼も冷静さを欠いているんだなと感じた。
マルグリットがマリーの腹違いの妹だという情報を提供して、マルグリットが何を思うのか、そこまで気が回るはずもなく、フェルセンは、マルグリットの心の柔らかい部分に直接触れるような真似をしてしまう。
ここで、ひとつ振り返って整理してみるが、マリーがマルグリットに渡した手紙について。
なぜマリーは危険を承知で、政治的な手紙をマルグリットに託したのか。
あの場面でマリーがそんな手紙を書いたのは、まず何より子どもたちを守るため。
それが最も大きな理由だと感じた。
あの場で、マルグリットに手紙を託したのは、マリーもマルグリットの根っこにある優しさに気がついていたから。
(あくまで、個人的な見解ではあるが。)
花マリーは、恐らく、「世間知らず」「無邪気」であっただけではなく、本来は、賢さを持った強かな女性の一面も持っていたように感じられる。
ルイが連れていかれる際に、彼女がオルレアンに放った言葉がそれを裏付けている。
「それならあなたの裏切りはすべて無駄だった訳ね」
「共和国は新たな王を必要としないわ」
革命派は、マリーの裁判後に、マルグリットが告発するまで、オルレアン(ルイ・エガリテ)の本質に気がついていなかった。
(少なくとも、マルグリットが告発しなければ、オルレアンの企みは公にはならなかった。)
そこを、マリーは鋭く突いている。
ここは、そのまま、最後のマルグリットの告発シーンに繋がっているように感じた。
話がシーンから逸れてしまったが、以上の点から、マリーは一人で、家族を守るために闘おうとしていたのだと推論が立てられる。
故に、マリーはマルグリットの優しさを信じて、”ラブレター”という名の最後の希望を託したのだと思う。
手紙の存在を知らされたフェルセンは、取り乱しマルグリットに詰め寄る。
「同じ子守唄を知ってたの」
零れるように落とされた言葉に、マルグリット自身の動揺と戸惑いがみえて、それを聞いたフェルセンの何とも言えない表情が印象的だった。
最期の逢瀬
タンプル塔に戻ったマルグリットは、髪が白く変わり、すっかり窶れてしまった花マリーの様子に、言葉を失う。
「…なぜ、そんなに見つめるの?」
「……あなたのせいよ!」
マリーの例えようのない哀しみ、苦しみが、彼女から紡がれる言葉の節々から感じられる。
耳を澄ましても拾えないような声で紡がれる子守唄から、哀しみや苦しみの感情を爆発させたような強い口調でマルグリットを責める様子まで、全部がマリーの中に渦巻く感情であり、それを吐き出さなければ、今すぐにでも彼女が死んでしまいそうな、そんな危うさを感じた。
マリーの姿を見たフェルセンが切なげに漏らした「おぉ…」という声に、言葉にならない想いが詰まっていて、辛かった。
「お願い…わたくしを見ないで…」
そう言って顔を背けるマリーを後ろから抱きしめ、セリフを言い終わるか否かのタイミングで髪にキスをするフェルセンを見て、彼が愛したのは、マリーの外見などではなく、魂だったのだ、と改めて思い知らされた。
「脱出…わたくしたち全員?」
ほんの僅か、ここでマリーの目に一筋の希望が見えた。
「お子様方は、あとで必ず救い出します」
万里生フェルセンは、ここでどもることなく、このセリフを言い切っていた。
けれど、この段階でマリーだけが逃げれば、残された子どもたちはどうなるのか、そんなことはフェルセンも本当は理解していたはずで。
「あとで必ず」その言葉が叶うことはないとわかっていながら、それでもマリーだけでも救いたかったフェルセンは、優しく哀しい嘘をつかざるを得なかったのだと、気づいてしまった。
おそらく、マリーもそれに気づいていたのだと思う。
「子どもたちを置いて逃げるくらいなら死を選ぶわ…」
どんな時でも、フェルセンにとって最優先すべき存在は、マリーだったが、死の足音が目前に迫ったこの時、マリーにとって最優先にするべきは、子どもたちだった。
「愛してるわ、わたくしを忘れないで…」
この言葉は、フェルセンが最期に聞くマリーの言葉になるが、マリーからのかけがえのない愛の言葉である反面、フェルセンにとっては呪いでもあったように思える。
フェルセンがマリーを失った後の人生を調べると、よりこの言葉の重さが胸に迫った。
最期の「私たちは泣かない」(リプライズ)は、マリーから歌いだす。
これまでは、泣いているマリーを慰めるためにフェルセンが使っていた、「泣かないで」というフレーズが、マリーからフェルセンに投げかけられることで、2人の関係性の変化がはっきり示されていて切ない。
見た目がすっかり変わってしまったマリーと、ほとんど変わらないフェルセンが歌う、「自由な若い日が、幸せがもうかえらないとき」というフレーズに、胸が痛んだ。
最期のキスが切なくて、「愛を信じて」という言葉を残して別れる2人の姿に、涙が堪えきれなかった。
息子との別れ
哀しむ暇すら与えられず、マリーの元にオルレアンがやってくる。
シャルルを連れていくというオルレアンとエベールに、必死で抵抗するマリーとマルグリット。
突き飛ばされても、ナイフを突きつけられても、エベールの足元に縋りついて、「やめて…!」と叫ぶ姿が、あまりに痛ましくて。
「生きる意味はどこに、あの子なしで」
「この苦しみから、誰か解き放って」
「心引き裂くなら、私を殺すがいい」
すべての苦しみを爆発させたような、強く叫ぶような歌声が、慟哭の声が、しばらく耳に焼き付いて離れなかった。
ここは、その場にいるかのような感覚で、音も立てずに、息をするのも忘れるほどに見入ってしまった。
マリーの苦しみに引きずられて、静かに涙が止まらなくなって、見ているのが本当に辛かった。
裁判
裁判のシーンに関しても、まるで自分も傍聴席に座っているような、そんな緊張感の漂う空気に飲み込まれていた。
起訴状が読み上げられている間、花マリーはほとんど動かない。
まるで、感情をそぎ落とした人形のように。
そして、マルグリットは、手紙についての証言を求められ、口ごもってしまう。
マリーのことを知らないままのマルグリットなら、きっと迷うことなく手紙を提出しただろう。
でも、この時、マルグリットの頭には、これまで見てきた、ひとりの人間としてのマリーの姿が浮かんでいたのではないかと思う。
子どもたちに子守唄を歌う姿、夫を連れていかれたときの妻としての姿、愛する人の手を取らず、子どもたちを選んだ母としての姿、子どもたちを守るため、必死に抵抗していた姿、子どもを奪われ、崩れ落ちる姿。
それらは、マルグリットが抱いていたマリーのイメージとはかけ離れていただろう。
もちろん、マリーは、傍聴している民衆が言う、「ヘビのような」女ではない。
「パンがなければケーキ食べろと笑った」の部分で、マリーとの初めての邂逅のときに、貴族から受けた屈辱を思い出したのかもしれない。
昆マルグリットはこの民衆の声を聞き、一度は頷く。
このセリフを言ったのはマリーではないけれど、阿婆擦れのクソ女だから、首を刎ねてしまえ。
民衆のそんな声を聞いたマルグリットが、エベールやオルレアンの姿を見て、表情を曇らせる姿が印象的だった。
何かが間違っている。
マルグリットの心が揺れ動いている様が、みていて辛かった。
手紙を受け取っていないと嘘をつくマルグリットに詰め寄るオルレアンは、エベールに嘘の告発をさせる。
息子への性的虐待という、ありもしない嘘を並べるエベールと、真実を述べているマルグリットの証言を聞こうともしない民衆。
それを目の当たりにしたマルグリットは、今まで目を瞑ってきた、民衆の歪みきった“正義感”に打ちのめされる。
ロベスピエールが、それまで表情を変えずに、そのやり取りを聞いていたマリーに答えを求める場面。
マリーの答弁は、圧巻だった。
「あまりにおぞましい。聞くに堪えません。すべての母親への冒涜です。答える価値もない。私は屈服などしません。」
「王家の象徴、私の死を望むなら、判決を言えばいい、堂々と。私こそは、マリー・アントワネット。」
「最期まで決して誇りは捨てない。私の罪は、プライドと無知。そして、人の善意を信じすぎたこと。今知りました、私が何者か。」
「どうか遺された人々よ、復讐などせぬよう。そして願う、我が子たちがあなたたちを恨まぬよう。そして次の時代よ、真実を伝えて。」
このシーンは敢えて、マリーの言葉をすべて記した。
なぜなら、これが、作品が伝えたかった想いだと感じたから。
哀しみ、怒り、憎しみ、誇り、願い、許し。すべての感情が、この言葉の数々に宿っている。
このシーンの花マリーは、マリー・アントワネット本人が乗り移っているようだった。
そのくらい、マリーがマリーそのものだった。
歌い出した瞬間、マリーの瞳から一筋涙が流れて、そこでまず息を呑んだ。
そして、「私の死を望むなら、判決を言えばいい、堂々と。」のときにも、一筋、マリーの頬を涙が伝う。
「私こそは、マリー・アントワネット」
この言葉とともに、マリーが立ち上がった瞬間は、何度見ても鳥肌が立つのを止められない。
マリーの魂から伝わる言葉に、心が震えた。
「我が子たちが」と歌うマリーの声が、涙を含んで少し震える。
その震えさえも、マリーそのものが声を震わせ、私たちに訴えかけているようで、とても心に残るシーンとなった。
「阿婆擦れ」「メス豚」などと言う、下劣な言葉を投げつけられても、マリーの魂は決して汚せない。
それを知っていたのは、あの場では、マルグリットだけだった。
どれだけ心無い言葉を浴びせられても、正面を見据えたままのマリーの姿は、王妃そのものだった。
着飾っていた時よりも、すべてをはぎ取られた後のほうが、魂の気高さが際立っていたように思える。
処刑、そして…
簡素な台車(実際は、荷馬車だったそうだが。)に乗せられたマリーは、彼女の処刑を待ち望む民衆の中を、刑場まで連れてこられる。
刑場に現れた花マリーが、ウィリアム・ハミルトンの有名な肖像画そのものの姿で、思わず息を呑んだ。
降りる際に、足を踏み外したマリーが地面に伏せってしまうシーン。
マリーに同情した素振りを見せたら、処刑台行きだと、エベールに脅されていたマルグリットだが、葛藤の末、マリーの手を取る。
最初は立ち上がるのもままならないほど弱っている様子だったマリーが、目の前で、怯えながらも自分に手を貸すマルグリットの姿を見て、徐々に王妃の気高さを取り戻す姿に、また、鳥肌が立った。
マルグリットが肘を支えたあたりで、花マリーの表情がすっと変わったように思える。
小刻みに身体を震わせる昆マルグリットの手にそっと触れた後、彼女の瞳を見つめて、「ありがとう、マルグリット。」と微かな笑みを浮かべた花マリーの姿に、涙腺崩壊。
それを受けた昆マルグリットが、すべてを悟ったように深々と頭を下げる姿は、初めての邂逅で生じた誤解が、やっと解けたのだということを教えてくれているようで、そこでも、さらに胸に迫るものがあった。
処刑台へ向かう、マリーの姿は、最期まで気高く、そして、王妃であった。
「マリー・アントワネット」(リプライズ)で、フェルセンが呆然と歌う姿も、見ていられないくらい切なかったが、マリーの死を見届けたマルグリットの苦しみが手に取るように伝わってきて、本当に辛い。
遺された者たちの絶望に、見ているこちらも打ちひしがれた。
今日も、マリーを救うことができなかった。
毎回、見終わって、最後に残るのは、結局その想いだけだ。まるで、フェルセンになった気分…。
マルグリットは、「真実を伝えて」というマリーの言葉を受けたからか、オルレアンとエベールを告発した。
しかし民衆は、マルグリットがマリーに対する中傷記事が嘘だったと話しているときも、誰も耳を傾けてはいない。
次の餌食である、オルレアンとエベールの首を刎ねるため、「自由」「平等」を掲げながら、去っていく。
「どうすれば世界は」でのメッセージが、マリーの裁判での言葉と重なって、今、私たちが考えなければならない問いかけだと、改めて実感した。
「どうすれば変えられる、この世界を私たちで。」
「正義と自由、掴めるか。」
「人を許せるのか。」
「平等とは何か。」
「復讐は終わるか。」
「その答えを出せるのは、我ら。」
まとめ
ようやく書き終えた…。長かった…。
想像の3倍くらいの分量になってしまって、読みづらくなってしまいましたが、思う存分書けて満足です。
後編は、あまりに感じることが多すぎて、感想を文章にまとめるのに苦労しました。
こうして何度も見返しながら考察ができるのは、円盤があるおかげ……。
でもやっぱり……!次はゆん花も!映像に残してほしい!!
まりまりが良いので、ゆん花も観たくなる……ということで、またゆん花のMAが観られることを心から願っています。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
では、また。
P.S. ゆん花楽日の感想は、もっとマニアックになってしまいそうだから、じっくり時間をかけて修正してから書こうと思います(^^ゞ