悠悠自適なオタク生活

好きなことやどうでもいいことを書き綴る、ジャンル崩壊の趣味ブログ。

『MA』花總まり×古川雄大の軌跡(前編)

なかなかまとめて書く時間が確保できず、下書きに眠ってしまっていた、

花總まり×古川雄大の『MA』について。


私がまとめあぐねている間に、古川さんのラジオで、ゆん花MAのエピソードが披露され、エリザのグッズまで発表され……。



突然の供給過多にあわあわしたが、まず前編が何とか完成したので、エリザ開幕前にひっそり投下しようと思う。


というか!古川さん……花マリーとのお芝居の中で、そんなエピソードがあったにもかかわらず、いざ対談をするとあの距離感になってしまうとは……。



やっぱり、ゆん花は奥が深いなぁと感じた。




目次

はじめに


今回観劇したのは、3回。


11月の帝国劇場、1月の梅田芸術劇場で、3度観劇したのだが、ありがたいことに大千秋楽もご用意いただけて、『MA』カンパニーの集大成を、客席から見届けることができた。



1度目の観劇では、正直、花マリー(花總まりさん)の動きを追うので手一杯で、ストーリーのメッセージや他キャストの芝居をじっくりと考える余裕がなかった。


ただ、それでも、花マリーは、マリー・アントワネット自身であったということだけはわかった。


世間知らずの王妃様、無邪気さあふれる少女、心優しいひとりの母親、愛する人を想う一人の女性、夫を支え寄り添う妻。


最初から最後まで、花マリーは紛れもなくマリー・アントワネットであった。




間をあけての観劇となった2度目は、花マリーとゆんフェルセン(古川雄大さん)、花マリーとマルグリット、花マリーとルイなど、マリーを取り巻くそれぞれの人物との関係性をじっくり感じる余裕ができた。


その中でも、特に印象的だったのが、花マリーとゆんフェルセンの関係性だった。


大千秋楽では、花マリーとゆんフェルセンの、ぴったりと噛み合った芝居の世界観に、完全に陥落。


今回は、そのゆん花コンビの大千秋楽について、書こうと思う。

(他のキャストについては、少々割愛。長くなりすぎちゃうので💦。)



フェルセンが語る「マリー・アントワネット


まず、ゆんフェルセンの歌が、帝劇よりも確実に深みを増していて驚いた。


単に技術的に上手くなっただけではなく、今まで以上にしっかりと、芝居に歌が浸透していたので、こちらもとてもスムーズに作品に入り込むことができた。


声量も増していたし、花さんも、古川さんも、公演中に目まぐるしく進化する役者だなぁと改めて感じた。


1度目の観劇の時よりも、花マリーとの声の波長?重なり具合?がぴったりはまっていたような。


2人の鼻にかかるような声がかなり好きだったりするので、ソロもデュエットもたくさん聴けて、とても満足。


『MA』のDVDの記事でも触れたが、この曲の「王妃と知らずに」の部分で、ゆんフェルセンは、ぐっと顔を歪め、切なさを帯びた表情をみせる。


ゆんフェルセンは、仮面を外したマリーを見て、はっと表情が翳るのだ。


そこには、彼女がフランス王妃であるとわかった瞬間に、自らの恋が叶わないと悟ったような、彼女を手にすることができないと諦めたような、そんな雰囲気がある。


この瞬間に2人の哀しい運命は決まっていたのだと思わされて、最初から、物語に切なさが漂う。


DVDで観た万里生フェルセンからは感じえなかった、纏わりつくような、深い陰のある雰囲気が印象的だった。



パレ・ロワイヤル


花マリーの優雅さ、華やかさは、より一層の輝きを放っていて、無邪気さの中に秘められた王妃たる貫禄、プライド、そして、魂の気高さが眩しかった。


花マリーの「ボンソワール♪」で、恋に落ちるのは毎度のことなのだが、大千秋楽は、花マリーの美しさと可愛らしさが限界突破だったので、彼女の一挙手一投足に、きゅんきゅんしまくりだった。


ゆんフェルセンを見つけたときの花マリーのはしゃぎっぷりも然ることながら、そんな花マリーに喜びを隠しきれていない(正確に言うと、オルレアンや周りの貴族を警戒して、隠そうとはしている。溢れてしまっているだけで。)ゆんフェルセンに、さらにときめきが止まらなくなった。


全体的に、大千秋楽ということもあってか、初っ端から全員が熱量高めの芝居を繰り広げていた印象がある。


ゆんフェルセンは、オルレアンにしても、ロアン大司教にしても、マリーを傷つける可能性のあるものすべてに対しての警戒心が、かなり強めだった。



「王妃様はご承知です。」



このセリフを言うときも、結構怖かった記憶がある。


ゆんフェルセンは、オルレアンやロアンのことを、かなり警戒?していて、見ていてビビってしまった。


あからさまな敵意、というよりは、とても冷酷そうな雰囲気を漂わせているようで、それがより一層怖かった。


個人的な感想としては、万里生フェルセンよりも、さらに、男としての独占欲が強めな印象。




「あなたに続く道」は、とろける甘さで、胸やけしそうになるが、如何せん、2人とも絵画のような美しさなので、しつこくなく、嫌らしくもない。


この2人は、外見的にも、芝居の雰囲気的にも似た部分があると思っていて、フェルマリの関係性に、そこが上手く作用していたと思う。


まず、何より見た目が似ている。2人とも、美の暴力、超絶見目麗しい輝きを持っている。


例えるなら、彫刻のイメージ。人の体温を持たない、絶対的な外見の美しさ。


それこそ、花さんなら、鳳凰伝』のトゥーランドットのときのような、古川さんなら、黒執事』のセバスチャンのときのようなイメージだ。


美しさ故に、冷たさすら感じさせる雰囲気が大好きなのだが、この2人の魅力はそれだけではない。



彫刻のような美しさを持ちながらも、花さんも、古川さんも、血の通った、豊かな感情の動きを、しっかりと芝居と歌で魅せてくれる。


役が入ると、その外見の美しさが、さらに色づき、光を放つような。


とても主観的で、個人的な感想になってしまうけれど、美しい人形に息が吹き込まれたように思えて、その変化がかなり好きだったりする。


そこが似ているし、共鳴するのだと思う。


触れたら凍ってしまうような美しさと、その時々の感情が溢れだすような芝居を違和感なく共存させるので、毎公演ごとに芝居に変化があるし、物語の世界にどっぷりと浸れるのだ。


このシーンでも、2人の魅力が存分に発揮されていて、観ていたこちらがとろけた。



「現実とはあなたよ」



この言葉を聞いた時のゆんフェルセンの表情が幸せそうで。


懸命に花マリーに忠告をしようとしていても、彼女にあんなにも愛しさを込めた声で言われてしまったら、きっとああなってしまうに違いない。


自制しようとしても喜びが溢れだしてしまう様子がたまらない。


伸ばされた花マリーの華奢で真っ白い手を、ゆんフェルセンの白手袋に包まれた手がしっかりと握る姿が、あまりに美しすぎて、ときめきが止まらなかった。


あと、ゆんフェルセンの細長くてすらりとした指が大好きなんだけれど、白手袋のせいか、いつもより何倍も色っぽくて困った。


花マリーの手が、フェルセンの大きな手にすっぽりと包み込まれる感じもたまらない。


また、このシーン、花マリーの漏れ聞こえる吐息があまりにも美しくて色っぽくて……フェルセンへの愛が細かな部分からもにじみ出ていて、きゅんきゅんしてしまった。


そんな花マリーの甘やかさに呼応して、ゆんフェルセンも感情を引き出されるように表情を変えるので、観ていて、とても引き込まれる。


手の甲にキスをする前も、そのまま2人がキスをしてしまうくらいに強く惹かれあっていて、繰り返しになるが、本当に観ている側がとろけそうだった。



マリーとルイ


いつも、毎回、超絶可愛い花マリーだけれど、大千秋楽はそれがどこも限界突破で、「輝ける王妃」の場面では、本当にきゅんとした。


やっぱりランバル夫人(彩乃かなみさん)とのシーンはとっても幸せな気分になるので、ずっとこれが続けばいいのにと思ってしまう。


「もしも鍛冶屋なら」は、シュガルイ(佐藤隆紀さん)がクマさんのようで、とってもほっこりした。


特に靴を片足ずつ確認するところの動きがキュート!


可愛いだけでなく、包み込むような朗らかな歌声とその大きな身体からにじみ出る安心感が、たまらなく素敵だった。


個人的に、ルイは、シュガーさんが好きかもしれない。花マリーととてもお似合いで、安心できる並び。



フェルセンとマルグリット


ゆんフェルセンは、マルグリットに対して、最初から最後まで感情があまり動いていないように感じた。


マルグリットを嫌っている訳ではないが、彼女に対して個別の感情は抱いていないような印象。


敢えて言うなら、マリーとそれ以外。そんな区別しかしていないような雰囲気を感じた。


もちろん、マリーに害をなすものに対しては容赦なく鋭い瞳を向けるが、マルグリットに対しては、彼女の賢さや、自身への興味を理解した上で、様子を窺っているようにみえた。


万里生フェルセンだと、対マルグリットの感情が全く違って見えたので、ここも考察しがいのあるポイントだ。

ソニンマルグリットが、昆マルグリットよりも随分女性的で、フェルセンに対して、恋に近い感情を抱いているように見えるという点も、フェルセンの見え方に変化をもたらす要因のようにも思える。)



「明日は幸せ」


ここは、やっぱり泣いてしまった。


この後の哀しい結末を知っているので、国王一家の幸せなひとときが続かないことがわかってしまって、ボロ泣きだった。


シュガルイと花マリーの声の相性が最高に心地よい。


時代が違えば、マリーがフェルセンと出会っていなければ……。思わず、叶わぬ”もしも”を願ってしまった。


この家族は、もっとずっと幸せだったのかもしれないと思ってしまうほど、穏やかで温かい雰囲気に包まれていて、3度の観劇の中で一番泣いた。



ちなみに、全然気にならなかったけれど、この日、シュガルイが若干鼻声だったような。

大千秋楽ということで、どのキャストさんも満身創痍で役を生きてくださっていて、それにも感動した。



プチ・トリアノン


場面は飛んで、プチ・トリアノンのシーン。



「早すぎましたかな?」



ここ、DVDを見て知ったんだけれど、万里生フェルセンは、「な?」なんて言っていなくて驚いた!


ゆんフェルセンの茶目っ気なのか、何なのかはわからないが、ここの「かな?」という語尾は、ときめきを三割増しにする。


グッジョブ、ゆんフェルセン!と思った。


そして、何と言っても、ここのシーンの、花マリーの天使のような可憐さは、最早、言葉にできないほどだった。


超可愛い。超無邪気。


それを穏やかに、嬉しそうに見守るゆんフェルセンだったけれど、「遠い稲妻」の歌い出しで、顔つきがぐっと変わる。


苦しそうな、伝わらないもどかしさを抱えているような険しい顔つき。


それを全く聞いておらず、ゆんフェルセンがお茶やお菓子を断ると寂しそうに、そして、近くに来ると、心から嬉しそうに微笑む、花マリーの純真無垢っぷりに、頭がくらくらした。



「それなら…わたくしのそばで守って…。」



この花マリーのセリフがあまりにも破壊力抜群で、一瞬、それでもいいんでは?と、ぐらついてしまいそうなほどだった。


語尾に吐息が混ざるような言い回しに、さらには、斜め上を見上げる上目遣い。



可憐で美しい、無邪気なマリー・アントワネットそのものだった。



そんな花マリーを見つめるゆんフェルセンは、伝えたいのに伝わらない、その怒りやもどかしさが、それまで観た中で、一番際立っていたように思う。



「大人になるんだ、マリー!」



ここは、ほとんど「マリっ!」くらいの短さになっていたけれど、ゆんフェルセンの焦りや怒りがひしひしと伝わってきて、切なかった。




ゆんフェルセンが立ち去ったあと、まるで幼い子どものようでもあり、愛する人を想うただ一人の女性のようでもあり、さらに言うならば、どちらにもなれない孤独な王妃である花マリーが歌う「孤独のドレス」。


ここは、思わず泣いてしまった。


哀しげに表情を歪めて、それでも王妃としての気品をなくさない、否、王妃でないものにはなれない、マリーの苦悩孤独が身を裂くようで、涙を浮かべながら歌う花マリーの感情にのみ込まれた。


花マリーも、帝劇のときよりも歌が進化していて、地声部分の迫力が増し増し。


歌声にぶわりと鳥肌が立った。


決して声を張り上げるのではなくて、感情の高ぶりに比例して、自然とメロディーも盛り上がっていくような、まさしく、芝居歌。


メロディーのドラマチックさも相まって、マリーの感情が流れこんできて、辛くてたまらなかった。



夏の夜の舞踏会


個人的には、ここの衣装が一番好き。


前述したとおりのゆん花の絶対的な美しさが堪能できるこのシーンは、もう本当に美しすぎて、マリーとフェルセンに見惚れてしまった。


まず、2人とも仮面がとても似合う。


どちらも鼻が高いので、仮面をつけていてもすぐに見つけられるし、顔を隠していることで、より一層神々しさが増していた気がする。


何より、このシーンで素敵なのは、重なり合う2人の歌声だ。


ゆんフェルセンの甘やかで優しい歌声と、花マリーの透き通る高音が融合して、柔らかで美しいハーモニーを奏でる。


全体的に幻想的な雰囲気を漂わせていて、メロディーも照明も衣装も、とても好きなシーン。


マリーとフェルセンが抜け出すとき、とても嬉しそうな花マリーと、仮面のおかげか、これまでよりも幾分か軽やかな足取りで立ち去るゆんフェルセンが印象的だった。



聖母マリアの日


この場面の花マリーとシュガルイの掛け合いもかなり好き。



「嘘はつけないわ……」


「理解している」



このセリフの場面、複雑な感情を含んだ花マリーの切ない表情と、すべてを理解した上で、嫉妬という感情のもっと先、諦めや悟りすら感じさせる声色で、優しく答えるシュガルイに、胸がぎゅんと締め付けられるようだった。



基本的には、ゆんフェルセン目線で花マリーに焦がれているのに、時折、シュガルイの想いに引きずられそうになることがあって、観ていて、身を引き裂かれるような気持ちになった。


なんというか、ゆんフェルセンの中にある花マリーへの想いにも共感してしまうし、シュガルイの中にある花マリーへの想いにも共感してしまって、とても苦しかった。


ロアン大司教に対する花マリーの声色が、とても冷たく、また、沸々と湧き上がる怒りが隠し切れない様子で震えていて、ぞわりと鳥肌が立った。


以前、DVDの感想のときにも同様のことを書いたが、花マリーの中にある、「ただ無償の愛に生きた」だけではない、王妃としての気高きプライドと、敵に対する冷酷さが表現されているように感じた。


これまでのシーンで描かれてきた、無邪気で愛される、少女のようなマリーの姿から、このような激しい一面を持ち合わせている、王妃としてのマリーの姿までを、説得力のあるお芝居で魅せる花さんに、改めて感動した。


「ヘビを殺して」のような歌は、私の中での花さんのイメージとは少し異なっていて、初めて観劇したときは、楽曲の激しさに驚いた。


大千秋楽では、地声歌唱にさらに迫力が増していて、その貫禄と激情に、完全に引き込まれてしまった。


ここにきて尚、進化を続ける、花總まりという役者が恐ろしくて、そして、改めて彼女のファンになれたことの喜びを感じた。



マリーとフェルセンの別れ


この日は正直、マルグリットが憎く思えてしまうほど、マリーに傾倒して観てしまっていた。


それ故、オルレアンも憎くて、憎くて。


そんな私の気持ちを代弁するかの如く、ゆんフェルセンが、オルレアンを物凄く恐ろしい表情で睨み付けていたのが印象的だった。


「私たちは泣かない」の場面。


焦りを帯びた声で花マリーに駆け寄るゆんフェルセンと、迷子のような声で必死に縋りつく花マリーがとても美しくて、そして、切ない。


ぽろりと美しい涙を流す花マリーに、想いを抑え込むように、別れを告げるゆんフェルセンの苦しそうな表情がとても哀しくて、観ているこちら側も胸が苦しかった。


「泣かないで」と花マリーの涙を拭うゆんフェルセンの指先、顔をくしゃくしゃに歪めて、子どものように泣きながら、ふるふると首を横に振る花マリーの姿が、今でも鮮明に脳裏に浮かぶ。


ゆん花には、宝塚のトップコンビのような阿吽の呼吸を感じることが多いのだが、ここでもそれが活かされていた。


2人が一度離れて別々のパートを歌い、歩み寄りながら声が重なっていくのだが、離れて歌っているときの息のぴったりと合った掛け合いがとても良くて。



「消えないから」と、2人の声が重なった瞬間のハーモニーの美しさと、そこからの盛り上がりにグッと引きつけられた。



吸い寄せられるように手を取り合って、そのまま互いを見つめながら歌う2人の美しさと切なさに、胸がぎゅっと締め付けられた。


こんなにも深い愛で繋がれた2人が、引き離されてしまう辛さに、ここでも涙腺が馬鹿になってしまい、かなり泣いた。




「運命の歯車」で、オルレアンの陰謀だと新聞を叩きつける花マリーを、心配そうに見つめるシュガルイも切ないし、反対側で「何故彼女を」と、険しい表情を見せるゆんフェルセンも辛い。



まとめ


前編終了。


思い出しながら書いていたら、何だか苦しくなってきた。


後編はもっと辛いので、気合い入れていかねば……。