悠悠自適なオタク生活

好きなことやどうでもいいことを書き綴る、ジャンル崩壊の趣味ブログ。

『MA』花總まり×古川雄大の軌跡(後編)

こんにちは、悠です。

今回は、前回に引き続き、花總まり×古川雄大『MA』について。

書いているうちに、記憶がどんどんと湧き上がってきて、感情の整理が大変でした。

前編はこちらから。

banbi520.hatenablog.com

ゆん花よ、永遠なれ……。

お時間のある方はぜひどうぞ。

互いを想うマリーとフェルセン

ここの「あなたを愛したことだけが」の花マリーが、息を呑むほど美しくて。

ゆんフェルセンを想いながら、切なげに筆を執る花マリーがとても印象的。

「慕われる良き王妃や良き母、どれもなれなくて、過ちばかり重ねたのね……」

「人々を愛したのに、憎まれ非難される……何故なの?」

ここの花マリーの切ない表情と声色に引き込まれた。

1幕よりも、マリーの孤独や苦悩が浮き彫りになっていて、胸が痛む。

「ただ神が命じた王妃」ではあるけれど、”王妃としてしか生きられない”マリーの運命、そして、宿命が感じられる。

また、”王妃”であることからは逃れられない花マリーの姿は、とても孤独で美しかった。

前半は、花マリーが一人で歌っているけれど、その後ろで、フェルセンが歌う旋律が重なって流れているのが好き。

初めて観劇したときには、花マリーと比べるとゆんフェルセンの声が少し弱いかな、と感じたのだが、大楽では全く感じなかった。

2人の声が重なって、しかも、どちらの言葉もしっかりと聞こえたので、より切なさが増す。

このシーンでは、2人は離れた場所にいるのにも関わらず、心はとても近い場所にいるような、そんな雰囲気が漂っていて、そこまではっきりとしたラブシーンでもないのに、胸がきゅんとしてしまった。

2人が過ごした甘やかな時間が浮かぶような、想いの深さ繋がりの強さが感じられる。

花マリーもゆんフェルセンもかなり色っぽくて、ちょっとくらくらきた。


王妃の寝室

ランバル夫人の「神は愛して下さる」も、この日が一番泣いた。

花マリーに対しての優しい眼差し、柔らかで包み込むような歌声、子どもたちへの接し方……。

どれも素晴らしくて、彼女がマリーのそばに居てくれてよかったと思えた。

唯一、どんなときも花マリーと子どもたちの味方になってくれる存在。

それが、みほこランバルだった。

毎回思っていたけれど、このランバルの歌はとても難しい曲なのに、ちゃんとお芝居に組み込みながら歌い切るみほこさんが素敵すぎて。

この2人の並びがまた舞台上で見られて、本当に幸せだった。

王妃だから、とルイの隣にいることを選択した花マリーの表情、声色がまさしく王妃そのもので、その存在感に引きつけられた。

「この方は、あなたたちの王なのですよ」

そう言葉を発したときの花マリーの気迫と貫禄に、思わず背筋が伸びた。

宮殿を立ち去るときの歩き方でさえも、王妃にしか見えなくて、花總さんにマリーが憑依しているようで鳥肌が立った。

そして、終始シュガルイがとても素敵で、この人はこんな時代でなければ、素晴らしい国王になっていたのではないかと思ってしまった。


テュイルリー宮殿

花マリーとソニンマルグリットの「憎しみの瞳」は、圧巻だった。

歌の掛け合いの迫力はもちろん、花マリーがとても強かで、とても賢くて、とても美しくて。

「マドモアゼル」

この呼びかけの静かなる圧が凄まじくて、息を呑んだ。

この曲はマルグリットから向けられる激しい憎しみを、マリーが落ち着いて静かに受け止め、諫めるような
イメージがあった。

私がこの回の花マリーから感じたのは、憤りと戸惑い。

よく知りもしないままに自身へ投げかけられるマルグリットの言葉への怒り、そして、マルグリットからぶつけられる強すぎる憎しみへの戸惑いを感じた。

「ただ神が命じた王妃」

「私のこと決めつけないで、違うというだけで」

この「ただ神が命じた王妃」の部分の説得力は流石である。

花マリーの生まれながらにして王妃にならねばならなかった宿命を感じた。

ソニンマルグリットの荒々しい歌声を受け止めて、それ以上の貫禄で跳ね返す花マリーに鳥肌が立つ。


ゆんフェルセンが訪ねてきたと知って、マルグリットを部屋から追い出した後、くしゃりと顔を歪める花マリーがとても哀しそうで。

涙で声を震わせながら歌われる、「もし王妃でなければ、あなたと逃げたい」があまりに辛くて、切なくて、そのワンフレーズでもらい泣きしてしまった。

慌てた様子で駆け寄るゆんフェルセンと、彼に縋るように抱き着く花マリーをみて、会えて本当によかった……という気持ちになるが、この先への不安も過ぎる。

「助け出します、きっと」

「あまりに危険すぎます」

DVDの感想とも重なってしまうが、ここのゆんフェルセンは、万里生フェルセンのときよりもさらに、フェルセンの必死さを感じた。

何としてでも花マリーを救い出すという強い意志、そして、一刻も早く救い出さなければ手遅れになるという焦りが、ゆんフェルセンの声、動きの端々から感じられて、観ているこちらも、焦燥感に駆られた。

「自由にしてみせます」

個人的な意見だが、ゆんフェルセンのいう”自由”という言葉の中には、王妃という立場からも、家族からも自由になる、という意味合いが含まれているように感じた。

彼の描く未来にいるのは、花マリーひとりだけなのではないかと感じてしまい、その中にルイや子どもたちの影を見つけることができなくて、それがとても切なかった。

マルグリットに声をかけるゆんフェルセンが、どこか作られた表情をしているのが印象的。

気にかけているように思わせる表情でも、瞳の奥がひどく冷めていて、マルグリットを見極めているような、そんな雰囲気を感じた。


逃亡計画

ここでは、なんとしてでも最後まで付き添いたいゆんフェルセンと、引率を静かに断るシュガルイとの間に、何とも言えないような空気が流れていて、辛かった。

もう花マリーのそばを片時も離れたくないというゆんフェルセンの想い、そして、花マリーと子どもたちは自分が守らねばならないというシュガルイの決意が交錯する。

どちらの気持ちにも共感できるので、胸が苦しかった。

そして、花マリーの心にある想いにも、共鳴してしまって辛い。

愛する人と共に生きたいという願い、王妃として王に寄り添わねばならないという覚悟、母として何としても子どもたちを守らねばならないという決意。

これらの想いを全部ひっくるめて、ゆんフェルセンを見つめる花マリーの表情が切なくて。

万里生フェルセンのときは、ここで逃亡に成功すれば、国王一家まるごと救われるのではと感じたが、ゆんフェルセンの場合は、逃亡が成功した暁には、マリーを連れて2人だけでどこか遠くへ行ってしまいそうな、それをフェルセンが望んでいるような、そんな印象を受けた。

この陰のあるゆんフェルセンの役作りが、光輝く王妃の姿の裏に、暗い孤独を抱える花マリーの陰の部分に共鳴しているようで、とても好きだった。

前半の花マリーは、まばゆいほどの光を纏った陽の芝居が多いので、ゆんフェルセンの抱える焦りや怒りといった陰の部分の芝居とは、表と裏の関係にあるように感じられる。

互いへの想いの強さは同じであるのに、それをどちらもわかっているのに、完全には重ならない2人の想い。

だからこそ、「あなたに続く道」や、プチ・トリアノンでの2人の掛け合いにきゅんとさせられるのだと思う。

話が進むにつれて、花マリーの孤独や苦悩といった陰の部分があらわになり、2人の陰の部分が作用しあって、芝居がより一層濃く深くなっていく。

万里生フェルセンのときとは、花マリーの雰囲気ががらっと変わるので、そこもはっとさせられたポイントのひとつである。

人が誰しも持つ心の闇の部分を、優しさや美しさといった光の部分と共存させながら、絶妙なバランスで魅せる。

そんな花總さんと古川さんの芝居が本当に好きだなと、今回がっつりと芝居で掛け合う2人を観て、改めて実感した。


ランバルの死、ルイの連行

シュガルイの「もしも鍛冶屋なら(リプライズ)」でも、ボロ泣きだった。

個人的に、フランツで初めて聴いたときから、シュガーさんの歌声が大好きだというのもあるけれど、ルイという役が想像以上にシュガーさんにハマっていて、花マリーと本当にお似合いの夫婦で……。

そんな、劇場すべてを包み込むようなシュガルイの歌声に完全に陥落。

それを切ない表情で見つめる花マリーに、また泣けてしまって、大変だった。

シュガルイの肩にそっと触れた花マリーから、燃えるような恋愛感情とは違うけれど、たしかに存在している”愛”を感じて、胸が詰まった。


ランバルが出かけてしまったあと、子どもたちを寝かしつける花マリーが歌う「明日は幸せ(リプライズ)」

子守唄を歌う花マリーの声がとても優しくて、この先の悲劇を知っている身としては、家族の最後の幸せな光景に、再び涙が止まらなかった。

マルグリットの生い立ちを聞き、彼女にフェルセンへの手紙を託す場面、花マリーがちらりとルイの方を窺うのがとても好きだ。

聞かれたくない。
傷つけてしまうから、聞かれてはならない。

こんな心の声が伝わってくるような丁寧なお芝居に、また、ぐっと引き込まれた。

ランバル夫人が殺されてしまった場面では、崩れ落ちる花マリーを見てもらい泣き。

追い打ちをかけるように、シュガルイが連行されていくシーンが続くので、ここからは鼻をすする音が周りの方の迷惑にならないように、必死でこらえながら、ほぼほぼ泣いていた。

「やめなさい……!」

ここの花マリーの取り乱し具合と、場を引き裂くような声に、鳥肌が立った。

そんな花マリーの方を落ち着いた様子で見つめて、まるで、「心配いらないよ」と伝えているような、シュガルイの柔らかい表情が辛かった。

「この人は虫さえ殺せないの……お願いやめて!やめてちょうだい……」

このセリフは、胸に迫るものがある。

扉に縋りつく花マリーの哀しみ、苦しみ、絶望が声だけでも伝わってきて、胸が詰まった。

また、ランバルの死に沸き立つ民衆をみつめる花マリーの瞳が、絶望と哀しみにまみれていて、オペラ越しに息を呑んでしまった。

ここで私が凄いと思ったのは、花マリーの瞳に憎悪による支配を感じなかった点だ。

普通ならば、憎しみの感情に支配されてもおかしくない状況で、彼女は、民衆たちを軽蔑はしていたが、憎悪に憑りつかれてはいなかったようにみえた。

もちろん、ランバルを殺した彼らを許せないという感情を、まったく抱いていないわけではないが、花マリーは、憎悪に憑りつかれて、人としての一線を踏み越えることはない人間なんだとここで悟った。

世間知らずで無邪気ではあったけれど、その一方で、マリーは、聡明で愛に生きた人だったというのが、花マリーの芝居のおかげですとんと入ってきた。

ここからは、花マリーの衣装がみすぼらしくなっていくのに比例して、王妃としての気高さがどんどん研ぎ澄まされていく。

この後のシーンは、自分が客席で観劇しているということを忘れて、マリーがいるその場に、自分が居合わせているような緊張感に囚われてしまうほど、作品の中に引き込まれてしまった。


マリーとフェルセンの最期の逢瀬

ゆんフェルセンは、マルグリットを見つけたときからずっと、花マリーのことしか見えていないのが明白で、マルグリットが可哀想に思えてしまうほどだった。

花マリーを助けるためならば、マルグリットの心情などお構いなし、とにかく花マリーさえ救い出せればあとはどうなったってかまわない、といった様子のゆんフェルセンは、最早、軍人でも伯爵でもなく、愛する人を救いたいだけのただの男だったように思う。

マルグリットが手紙のことを口にしたときの、ゆんフェルセンの衝撃、絶望、焦り、そのすべてがごちゃ混ぜになった表情が印象的。

花マリーがハミングで歌う「明日は幸せ」だが、もうほとんど音になっておらず、窶れ切ったマリーの姿に、思わず息を呑んだ。

それほどまでに窶れて弱っていても、子どもたちを寝かしつけるために、手がほんの僅か動いているのが、本当に辛い。

「……何故、そんなに見つめるの…?」

この言葉も消え入りそうなほど、弱々しくて、目を逸らしてしまいそうになった。

その直後、彼女の表情が言いようもなく歪んだかと思うと、ぶつけようのない苦しみと哀しみと絶望が、マルグリットに向けて、強い口調で吐き出される。

「あの人たちが王を殺したのは…あなたのせいよ……!」

そう言ってぼろぼろと涙を流しながら崩れていく花マリーの姿が辛すぎて、見ていられなかった。

「…アクセル……」

「お願い…わたくしを見ないで……」

消え入りそうな声で愛する人の名を呼んだあと、窶れてしまった姿を見られまいと顔を背ける花マリーの姿に、涙腺崩壊。

髪が真っ白に変わり、みすぼらしい服を着せられ、ひどく窶れ切った花マリーの外見などまったく気にせず、強く、きつく彼女を抱きしめるゆんフェルセンの愛が、あまりに深くて重くて。

深すぎて、2人とも共に堕ちていってしまいそうな、そんな印象を受けた。

花マリーをしっかりと抱きしめるゆんフェルセンが、花マリーの存在を確かめるように両腕をさするのがまた、愛に溢れていて、嗚咽をこらえるのに必死だった。

「脱出……わたくしたち全員…?」

「お子……お子様方は…あとで必ず救い出します」

「わたくしたち全員…?」と問われたとき、ゆんフェルセンは、初めて子どもたちのことを思い出したかのような表情を浮かべる。

「現実を知らなさすぎます」とマリーを諫めていたフェルセンの方が、幻想を捨て切れていなかったことがわかって、とても辛かった。

ゆんフェルセンは、最後まで、2人が普通の恋人同士のように愛し合える未来を諦められなかったのだろうと感じて、それまでずっとかぶっていた仮面を剥いだ彼の本心に、胸が締め付けられた。

そんなゆんフェルセンにきつく抱きしめられながら、"脱出"という言葉を聞いた瞬間、花マリーの表情が、希望をみたように僅かに変化する。

しかし、そのあとのゆんフェルセンの様子から、すべてを察して、彼女は一瞬だけ、聖母のような柔らかい表情をみせるのだ。

「子どもたちを置いて逃げるくらいなら……死を選ぶわ」

オペラグラス越しに、その聖母のような横顔を目の当たりにして、溜まっていた涙がまた溢れた。

私は、この時の花マリーから、子どもたちの母親としての顔と、幻想を捨てきれないゆんフェルセンを諭す優しい恋人の顔、そのどちらも感じた。

フェルセンへの生涯をかけたかけがえのない愛と、子どもたちを守らんとする大きくて深い母親の愛。

どちらも抱えたマリーは、両方を守るために、母として、フランス王妃としての選択を下したのだと思うと、あの華奢な身体に、どれだけたくさんのものを背負って生きているのか……、考えただけで苦しくて。

もうどうにもならない状況が、たまらなく悔しかった。

花マリーの決断を聞いたゆんフェルセンの「そんな……」が、いつにも増して絶望感が漂っていて、胸が抉られた。

ACT1の「私たちは泣かない」では、子どものように泣くマリーを慰めていたフェルセンが、ここでは逆に、迷子の子どものような表情を浮かべていたのが、辛すぎた。

「愛しているわ…わたくしを忘れないで……」

DVDの感想で、「この言葉は、愛の言葉である反面、呪いでもある」と書いた記憶があるが、ゆんフェルセンにとっては、まさしく「愛の呪縛」だったように思える。

言葉で表現するのが非常に難しいのだけれど……ゆんフェルセンが相手の場合、花マリーとの関係は、「愛」=「呪い」だったように思えてならないのだ。


表裏一体というか、なんというか…。


「愛の呪縛」という表現が的確かはわからないが、ゆん花とまりまりを見比べると、ゆん花は「運命の出会い・愛し合うことは必然まりまりは「偶然の出会い・互いを愛すという強い意思といったイメージ。

どれもあくまで個人的な感想だけれど、フェルセンによってこんなにも花マリーの印象が変わるというのは、とても素敵な発見だった。

マリーとフェルセンの関係性はどこまでも深く掘り下げて考察ができるので、ここまで『MA』という作品にハマったのだと思う。

少々話が逸れたので、元に戻すが。

この後に歌われる「私たちは泣かない(リプライズ)」は、最早、歌というよりセリフだった。

2人とも綺麗な顔をくしゃくしゃに歪めて泣いているので、ぽつりぽつりと感情が零れ落ちるような、辛すぎるデュエットだった。

古川さんがこんなにも顔を歪めているのを観たのは初めてで、毎日フェルセンとして生き、マリーを喪い続けるのは、本当に辛いことなんだと痛感した。

大楽だということもあってか、どちらも見ていられないほど打ちひしがれていて、本当に身を裂かれるような思いだった。

ここでも、互いの存在を確かめ合うように何度も頬を撫であう2人がとても印象的。


花マリーがゆんフェルセンに対して、先に「泣かないで」と言葉をかけるのも、切ない。

ゆんフェルセンを安心させるように、頬を撫でながら歌う花マリーの深くて大きくて真っ直ぐな愛を感じて、胸が痛かった。

「泣くのは夢が叶わないとき」

「自由な若い日が、幸せがもうかえらないとき」

2人が密かに思い描いていた夢はもう叶えられず、美しく輝いていたマリーのブロンドの髪は白く窶れてしまった。

それがわかっていても、互いを想って「泣かないで」と言葉を掛け合う2人に、またもや涙腺が決壊。

「愛を信じて」

最期の2人の口づけは、私がこれまで観劇した中で、最も美しい口づけだった。

そして、私が観た回の中では、一番離れるまでに時間がかかっていたように思う。

離れなくてはならないのに、離れがたくて、離したくなくて。

そんな心情が痛いほど伝わってきて、辛かった。


静寂に包まれた劇場に、響いたリップ音に一瞬だけ我に返って、2人にときめきが爆発してしまったことをここに懺悔します。

すみませんでした。
ときめきをありがとうございました。


マリーと子どもたち

フェルセンとの別れのあと、哀しむ暇もなく、マリーの元にオルレアンとエベールがやってくる。

シャルルを連れていくという彼らに対し、弱り切っているはずの花マリーが、それまでとは別人のような強さで立ちふさがる。

その姿を見て、マリーの母としての強さに心動かされた。

引きはがされてしまった花マリーから漏れる、苦しそうな呻き声があまりに辛くて、目を逸らしてしまった。

シャルルにナイフを向けるエベールの足に縋りついて、「やめて!!!」と叫ぶ花マリーは、自分にナイフが向けられても気にかけず、一心にシャルルに手を伸ばしていて、観ているこちらも辛くてたまらなかった。

シャルルが連れ去られ、床に倒れ込んだ花マリーの声が涙でずっと震えていて。

「生きる意味はどこに……あの子なしで」

「この苦しみから、誰か、解き放って」

「心引き裂くなら、私を殺すがいい……」

花マリーの絶望感、苦しみが劇場全体を覆ってしまったかのような静寂の中、まるで、悲鳴のような歌声が響く。

泣き叫ぶようなその声、苦しみが爆発したような慟哭の声に、ぶわりと鳥肌が立ったと同時に、涙がとめどなく溢れた。


裁判

裁判の花マリーは、表情、動き、声、すべてがマリー・アントワネットそのものだった。

この場面では、裁判を傍聴しているかのような錯覚に囚われながら、一心にマリーの姿だけを見つめていたので、正直、周りの民衆の様子に関しては記憶がさだかでない。

そのくらい、花マリーの存在感が凄まじくて。

場面が終わるまで、花マリーから目を逸らすことができなかった。

口元をくっと引き結んで、どこか一点をじっと見つめる花マリーは、生気を失い、ただそこに器だけが残ってしまったかのようにみえて、とても怖くなった。

しかし、エベールの下劣な告発を受けたとき、ほんの僅かだが、花マリーの纏う空気が変わる。

その後、ロベスピエールに回答を求められて、静かに口を開く花マリーの瞳に、少しずつ色が戻ってくるのだ。

その過程を見せつけられた私は、民衆のマリーに対する罵詈雑言を聞いて、思わず流れた涙も引っ込んで、マリーの言葉に聞き入ってしまった。


「あまりにおぞましい。聞くに堪えません。すべての母親への冒涜です。答える価値もない。私は屈服などしません。」

まず、母親としてのマリーの言葉。


「王家の象徴、私の死を望むなら、判決を言えばいい、堂々と。私こそは、マリー・アントワネット

「最期まで決して誇りは捨てない。私の罪は、プライドと無知。そして、人の善意を信じすぎたこと。今知りました、私が何者か。」

そして次に、フランス王妃としてのマリーの言葉。


「どうか遺された人々よ、復讐などせぬよう。そして願う、我が子たちがあなたたちを恨まぬよう。そして次の時代よ、真実を伝えて。」

最後に、すべてを赦し、すべての業を自らが背負うと決めたマリーの願い。


ひとつ言葉を重ねるごとに、花マリーの瞳に光が戻っていく。

そして、「私こそはマリー・アントワネット、この言葉を契機に、彼女の王妃としての気高さが絶頂に達するのを目の当たりにして、呼吸すら忘れてしまうほど、マリーの言葉に魂を揺さぶられた。

花マリーが椅子から立ち上がったその瞬間、フランス王妃の魂の気高さに圧倒されて、ぞわりと全身の感覚が波立った。

いつにも増して、花總さんにマリー・アントワネットが憑依しているとしか思えなくて、しばらく鳥肌が立ちっぱなしだった。


処刑~ラストシーン

DVDを観たときにも感じたが、花マリーの姿が、ウィリアム・ハミルトンの有名な肖像画そのもので、現実と物語の区別がわからなくなってくるような、不思議な感覚に囚われた。

足を踏み外したマリーが倒れるシーン、流れはわかっているはずなのに、思わず息を呑んでしまった。

自分自身では起き上がることもできないほどに弱っているマリーだったが、マルグリットに助け起こされて、彼女の瞳と見つめあった瞬間に、その表情に王妃の気高さが宿る。

「ありがとう、マルグリット。」

少し微笑んでいるようにもみえる穏やかな表情で、そう告げたマリー。

彼女に恭しく頭を垂れるマルグリットの胸の内は、想像もできないほどに苦しいのだと思うと、我慢していた涙がまた流れた。

ギロチン台へと向かうマリーの姿が、目に焼き付いて離れない。

結局、最後まで、マリーを救うことができなかった。

でも、この日は、絶望と同時に、マリーはようやく、背負い続けた多くの荷物を降ろすことができるのだと、そんな気持ちも湧き上がった。

こんな風に感じたのは初めてだったので、自分でも驚いた。

花マリーのお芝居が大好きで、今回も何度も心を震わされた。

心情の変化を、自然に、説得力を持って表現する花總さんの姿には、感動と尊敬、崇拝の気持ちすら湧き上がる。

花總さんの場合、最早、演じるというより、その人そのものになるというイメージに近いのかもしれない。

今回であれば、花總まりマリー・アントワネットにしか見えなかったように、役によって毎回それを感じさせてくれる花總さんは、本当に素晴らしい俳優だと思う。

同じ時代に生きていられること、そして、舞台に立つ花總さんを観られることに感謝してもしきれない……。

本編に戻るが、マリーの処刑後、ゆんフェルセンが歌うマリー・アントワネット(リプライズ)」は、胸が痛かった。

心底苦しそうに、信じたくないといった様子で歌うゆんフェルセンは、一生マリーの亡霊を追いながら死んだように生きるのではないかと想像してしまうような、自身の心臓を半分引きちぎられたくらいの衝撃を受けているようにみえて、観ていて本当に辛かった。

下でぼろぼろになって涙するマルグリットも同じく。

ただ、ソニンマルグリットの瞳には、花マリーの裁判での言葉を受けての覚悟や決意を感じたので、彼女はきっと、十字架を背負って、それでもちゃんと前に向かって歩いていくのだろうと思えた。


「どうすれば世界は」での花マリーが、憑き物が落ちたようなとても柔らかで美しい表情をしていたのが印象的。

「どうすれば変えられる、この世界を私たちで。」

「正義と自由、掴めるか。」

「人を許せるのか。」

「平等とは何か。」

「復讐は終わるか。」

「その答えを出せるのは、我ら。」

今の時代だからこそ必要な作品だと感じた。

この作品から受け取ったメッセージは、今でも心に強く刻まれている。


最後に

やっとまとめ終わりました!!

冷静になって読み返したら、かなり主観にまみれた抽象的な感想になってしまったし、何なら後半はほぼずっと泣いてました。

まあそれでも、なんとかエリザベートの開幕前に書き終えたかったので、ぎりぎり間に合ってよかったです。

この作品の集大成、このカンパニーの集大成を見届けることができて幸せでした!

また、同じキャストで再演を!!と、言いたいところですが、演じるキャスト陣の精神的疲労やら諸々の事情を考えると、あるとしても何年か間を空けないと厳しいかな……なんて思ったり……。

でも、ゆん花のMA、絶対にまた観たいです。


これを書き終えたので、今からはエリザベートに脳内スイッチを切り替えねばなりません。

取材会とゲネの映像をちらっと見たけれど、我らが王妃である花總さんは、すでに私の大好きな、孤高のシシィになっておられたので、今からすでにそわそわしています。

早く花シシィが観たい…!!

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

では、また。