こんにちは、悠です。
今日はポッキーの日、且つ、ベースの日。
ということで、特になんてことないプチ情報ですが、私が一番好きなベーシストは、フレデリックの三原康司さんです。
彼は絵もとても上手くて、グッズにも彼のデザインやイラストが使われています。
話が逸れましたが……今日は、絵本 の話です。
先日、母と絵本の話になり、久しぶりに自分が好きだった絵本について思い出していたら、なんだかとても、あたたかい気持ちになりました。
という訳で、今回は少し趣向を変えて、おすすめの絵本を紹介してみようと思います。
お時間のある方は、ぜひ覗いていってください(*^^)v
(※この記事では、紹介する絵本のネタバレを含みますので、その点はご了承ください。)
私と絵本の世界
私はひとりっ子で、ひとり遊びが好きな子どもでした。
そんな私が寂しくないように、我が家のサンタクロースは、毎年いろいろな種類の絵本をプレゼントしてくれました。
その絵本を読んでは、「もしこのお話の中に”わたし”が登場したらどんなことをするのかな?」と想像を膨らませたり、「この子と話すことが出来たら何を話すのかな?友達になれるかな?」と考えてみたり。
新しい絵本を読んでもらう度に、もしくは、自分で読んでみる度に、知らない世界に飛んでいけるような、そんなわくわくする気持ちでいっぱいになったのを、今でもよく覚えています。
絵本がいつの間にか、子ども向けの文庫本に変わり、そこからのめり込むように”本”の魅力に惹かれていきました。
新しい小説を読むのはもちろん大好きですが、最近は、自分の思うままに短いお話を書いてみたりと、自分なりに様々な楽しみ方で、英気を養っています。
そんな私の、想像力を育てるきっかけは絵本にありました。
様々な語彙を学んだのも、一番最初は、絵本からでした。
こうして文章を書いたりするのが好きになったのも、元を辿れば、幼少期から、絵本の中で優しい言葉にたくさん触れてきたからなのかなと思ったりもします。
近年は、テレビやゲームなどの新しい娯楽が登場し、絵本に触れる機会が減っている子どもたちもいるのかなと思うと、少しの寂しさを覚えますが、絵本には絵本にしかない魅力がたくさん詰まっています。
大人になった今、当時の絵本を読み返してみても、あのわくわくする世界は色褪せてはいませんでした。
むしろ、年を重ねて、現実を知り、諦めを知った今読むからこそ感じられる、新たな感情もありました。
そんな、奥深い絵本の世界を少しだけ、私の個人的なおすすめ作品を紹介しながら、覗いてみようと思います。
今回は、当時読んでいた絵本の中でも、特に印象深かった一冊を紹介します。
『わすれられないおくりもの』(スーザン・バーレイ作・絵)
有名な作品なので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私はこの作品がとても好きです。
死にゆく者と残される者。
どちらの想いにも寄り添う、切なくもあたたかい物語がとても印象に残っています。
■ストーリー(ネタバレあり)
➡なんでも知っていて、みんなから愛されるアナグマは、自分がもう長くは生きられないことを悟る。もう彼のからだでは、みんなと一緒に丘を駆けることもできなくなった。
それでもアナグマは、死ぬことを恐れてはいなかった。からだがなくなっても、心はなくならないで残ることを知っていたから。
丘の上でかけっこをするモグラとカエルの姿を見て、アナグマは、もう一度だけでもみんなと走ることができたなら……と思うが、走れなくても、楽しそうにはしゃぐ彼らを見ているだけで、幸せな気持ちになった。
その夜、アナグマはいつものように食事を済ませて、手紙を書いた。
そのまま、アナグマは、暖炉の傍で、揺り椅子に腰かけたまま、すっかり寝入ってしまう。そして、彼は、不思議で、素晴らしい夢を見た。
その夢の中で、アナグマは走っていた。驚くことに、杖も持たず、アナグマは、長く続くトンネルをどんどん走って進んでいく。不思議なことに、走れば走るほど、アナグマのからだは身軽になっていった。
翌朝、いつもあいさつに来てくれるアナグマが来ないことを心配したみんなが、アナグマの家に集まってくる。家の中を確認したキツネは、アナグマが残した手紙と共に、みんなにアナグマの死を伝えた。
「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマより」
みんな、アナグマのことが大好きだったので、彼の死を受け入れられる者はひとりもいなかった。
特に、モグラは酷く悲しんで、家に帰ってからも涙が止まらなかった。
その夜、雪が降り始め、冬がやってくる。冬の間、動物たちは家にこもって過ごしたけれど、みんな、悲しみを乗り越えられずにいた。
やがて春が来て、みんなは互いを行き来しながら、アナグマとの思い出を語らい始める。
モグラは、アナグマに切り紙を教えてもらった。最初は上手くできなかったけれど、アナグマができるまで教えてくれたから、今では切り紙の達人だ。
カエルは、アナグマがスケート練習を見守ってくれたことを思い出した。できるようになるまで、アナグマはずっとやさしく付き添ってくれた。
キツネはネクタイの結び方を、ウサギの奥さんはしょうがパンの作り方を、他の動物たちにも、それぞれアナグマとの幸せな思い出があった。
それぞれの思い出は、代わりのきかない、大切な、かけがえのないもの。
アナグマは動物たちひとりひとりに、宝物のような、”わすれられないおくりもの”を残してくれたのだ。
最後まで残っていた雪が消えた頃には、動物たちは、アナグマが残してくれた知恵や工夫を、その大切な思い出を、語らい、分かち合うことで、悲しみを乗り越えることができたのだった。
すっかり暖かくなった春のある日、モグラは、カエルとかけっこをしたあの丘に登った。そこでモグラは、アナグマに、おくりもののお礼が言いたくなったのだ。
「ありがとう、アナグマさん。」
モグラは、アナグマが近くで聞いていてくれるような、そんな気がした。
■作者について
作者はイギリスの絵本作家、スーザン・バーレイ。
この作品は、美術大学在学中に製作されたデビュー作。
1984年にイギリスで刊行、1986年に日本でも刊行された。
イギリスの絵本作家にとって意義のある賞である、マザーグース賞を受賞している。
スーザン・バーレイがストーリーと作画の両方を手掛けたのは、この作品のみであり、この後の作品では、バーレイの絵と別の作家の文で構成された共作で、絵本を製作した。
バーレイの絵は、水彩絵の具の淡く柔らかい色彩が印象的。
線も主張しすぎず、細やかなタッチで描かれているので、絵から受ける印象がとても柔らかく、あたたかい。
遣われる言葉にも繊細な心配りがなされていて、”大切な人の死”という、読者にとっては重くなりがちなテーマを、最小限の言葉で、シンプル且つ、穏やかに表現している。
■物語で描かれる”死”
ここで描かれている”死”は、肉体的な死であって、精神的な死ではない。
大人になり、実際に身近な人の”死”を経験した今だからこそ、この違いがはっきり理解できるようになりました。
改めてこの作品を読んでみて、特に印象的だったのは、アナグマが”死”を恐れていない理由として挙げられていた、
「死んでからだはなくなっても、こころは残ることを、知っていたからです。」
という一節です。
ある人が死を迎えると、その肉体は無に帰すけれど、その人の記憶を持つ者がいる限りは、その人の心は、関わった人たちの心の中に生き続けるのだということを、私は今、身をもって感じています。
幼い頃に読んだときは、「長いトンネルのむこう」がまだ怖くて、アナグマのからだがなくなってしまったこと(=アナグマの”死”)が悲しくて、揺り椅子に座るアナグマの姿を見て、モグラたちのように涙が出ました。
アナグマの”死”を乗り越えたモグラたちを見ても、まだ涙が乾かずに、おいおい泣いていたのを、今でも覚えています。
でも改めて読み返した今は、悲しい涙よりも、穏やかで柔らかな気持ちが、胸いっぱいにじんわりと広がるような、そんな感情で心が満たされています。
ようやく、本当の意味で、この作品を咀嚼することができたような気がして、読み返してみてよかったなと思いました。
最後に
今回は、『わすれられないおくりもの』(スーザン・バーレイ作・絵)について、紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
子どもたちはもちろん、大人が読んでも、心の中があたたかい気持ちでいっぱいになる、素敵な絵本でした。
私も、自分で思っていた以上に、読んだ当初の感覚を覚えていて、あの時の私はこの絵を見てぼろぼろ泣いたなぁ、なんて懐かしみながら、作品のあたたかい世界をもう一度覗くことが出来ました。
他にも読み返したい絵本があるので、時間を見つけて読んでみようと思っています。
今回のように、またつらつらと感想を書こうと思っていますので、息抜きがてら、私と一緒に絵本の世界を覗いて、ほっとしてもらえたら嬉しいです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
では、また。