悠悠自適なオタク生活

好きなことやどうでもいいことを書き綴る、ジャンル崩壊の趣味ブログ。

BUMP OF CHICKENの『ダンデライオン』の話

こんにちは、悠です。

テレビでやっていた春の歌特集で、BUMP OF CHICKENダンデライオンを聴いて、やはり好きだなと改めて思ったので、ブログを書くことにしました。

人気の高い楽曲なので、すでにたくさんのファンの方に語り尽くされているんですが、今回は私の感じたダンデライオンの物語を綴ってみたいと思います。

お時間のある方はぜひ。

曲の基本情報

jupiter [ BUMP OF CHICKEN ]

BUMP OF CHICKENのアルバム「jupiter」に収録されている楽曲。

このアルバムの最後に出来た曲である。


タイトルはダンデライオン

ダンデライオンとは英語で、“たんぽぽ”の意。


“強くて孤独な寂しがりのライオン”“太陽によく似た姿のたんぽぽ”の物語。

ライオンの視点で聴くか、たんぽぽの視点で聴くか、第三者の視点で聴くか……聴く人によって解釈が異なる歌詞が印象的。


私の思う『ダンデライオン』の物語

“寂しがりライオン 吊り橋を渡る”

“サバンナじゃ 皆に嫌われた”

サバンナに住む寂しがり屋のライオンは、周りの動物たちから恐れられていた。

みんなに怖がられて孤独を感じていたライオンだったが、吊り橋の向こうで、太陽のような姿をした“たんぽぽ”に出会う。

“お前は俺が怖くないのか?”

ライオンがそう問うても、近づいても、“たんぽぽ”は逃げなかった

ただそこに咲いているだけの“たんぽぽ”には、答えるすべがないだけだったが、それでもライオンは嬉しかった。

“吹き抜ける風と共に 一度だけ頷いた”

風に吹かれて、ふわりと揺れた“たんぽぽ”を見て、ライオンは“たんぽぽ”が頷いたのだと思い込んだ。

”涙の理由を知ってるか”

”濡れた頬の温かさは 恐らくお前がくれたんだ”

ライオンは、自分のことを怖がらず、逃げなかった“たんぽぽ”の姿を見て、涙を流した。

それまで孤独だったライオンに、“友達”が出来た瞬間だった


“雨の日もライオン 吊り橋を揺らす”

“金色の琥珀を咥えて”

ある雨の日、ライオンは吊り橋を渡って“たんぽぽ”に会いに来た。

いつも無口な“たんぽぽ”に似た、金色の琥珀を手土産に、ライオンは吊り橋を渡る。

“響く雷鳴 落ちる吊り橋”

“痛みに目を覚ませば 空は遠く 狭くなった”

そんなとき、雷鳴が鳴り響き、吊り橋が落ちてしまう。

谷底へと落下していくライオンは、狭くなる視界の中で、“たんぽぽ”のことを思った。

“この元気な声が聴こえるか”

“濡れた頬の冷たさなど 生涯お前は知らなくていい”

“たんぽぽ”を泣かせたくない、そう思ったライオンは力の限り、大きな声で吠えた。

俺は元気だから心配するな、ライオンは精一杯、“たんぽぽ”に届くように叫んだ。

そのときライオンの頬を濡らしたのは、雨だけではなかった。

ライオンの頬には、涙が伝っていた

“止まない雨に 血は流れていく”

ライオンは谷底に落ちてしまい、深い傷を負っていた。

“もし生まれ変わるなら お前のような姿になれれば 愛して貰えるかなぁ”

ライオンは自分自身の孤独だった人生を振り返り、金色に輝く“たんぽぽ”のことを思った。

“濡れた頬の冷たさなど 恐らくお前が奪ったんだ”

“涙の理由を知ってるか”

“この心の温かさが そのまま答えで良さそうだ”

ライオンは死の間際、頬を濡らした涙の理由を悟る。

ライオンにとって、“たんぽぽ”は友人であると同時に、自分を恐れない唯一無二の大切な存在だった。

その思いがたとえ一方通行だったとしても、ライオンにとっては、物言わぬけれどそこに咲き続ける“たんぽぽ”の存在が、生きる意味になっていたのだ。

“たんぽぽ”との出会いは、ライオンに陽だまりのような温かさと安らぎを与えた。

“たんぽぽ”がどんな思いでいたのかは、誰にもわからない。

だが、ライオンは“たんぽぽ”の存在に意味を見出し、愛情を抱いていた

“季節は巡り 春が訪れ 谷底まで金色の化粧”

ライオンの死から季節が過ぎて、春がやってきた。

“一面に咲く たんぽぽの花”

“ライオンによく似た姿だった”

谷底にたくさん咲く金色の“たんぽぽ”は、まるで、黄金色のたてがみを持つライオンのような姿をしていた。

ラストシーンの解釈
  • ライオンは死の間際、生まれ変わったら“たんぽぽ”のような姿になりたいと願っていた。

谷底に咲いた“たんぽぽ”は、ライオンの生まれ変わり?
(そうだったら素敵だな…という願いを込めて……夢のある、おとぎ話のような美しいエンディングです)

  • 吊り橋の向こうに咲くたんぽぽが種を飛ばして、それが偶然にも谷底に落ちた

ライオンの願いは叶わなかったが、まるでその死を弔うように“たんぽぽ”が一面に咲いていて、その姿はライオンによく似ていた
(おとぎ話のエンディングとしては現実的すぎるかもしれませんが、ある意味こちらの方が、“ライオンの人生”として聴くには、しっくりくるような気もします)


この物語に登場する“たんぽぽ”に、意思があるかという点については、いろいろな意見があると思うが、個人的には、“たんぽぽ”に意思はなく、花は花であるという事実を前提とした物語だと解釈する。

ただそこに咲いていた一輪の花に、ライオンは、孤独だった自分の人生における“生きる意味”を見出した。


どう生きていくかは、自分次第でいくらでも変えていける

この曲を聴いて、そんな言葉が私の頭に浮かんだ。


また、太陽によく似た姿”のたんぽぽライオンによく似た姿”のたんぽぽという表現が使われている。

太陽と、たんぽぽと、ライオン

たしかに姿形が似ているし、どれも美しい金色のイメージがある。

もしかすると、自分の本当の姿を知らぬまま、ライオンは、“自分は愛されていない”と思い込んでいただけだったのかもしれない。

これもあくまで私の想像でしかないが、“たんぽぽ”がライオンによく似た姿だったと描かれていることで、そこにも思いを馳せる余白を残している点が、非常に心に残っている。


実はライオンは、自分の鏡のような“たんぽぽ”を通して、本当の自分の姿を見ていた、という解釈もアリだと思う。

強くて恐れられてはいるけれど、周りの動物たちはライオンの姿に憧れていたかもしれない、とか。

勇ましいライオンの姿を遠巻きに眺めて、畏怖の念を抱いていただけで嫌っていたわけではないかもしれない、とか。

あくまですべては想像の話であり、どこにも答えはない。

そう考えると、歌詞の解釈がどんどん広がって、とても興味深かった。

聴いた人それぞれの心に広がる数多の物語が、この曲をより一層魅力的に輝かせている。


最後に

あくまで私の思う、ダンデライオンの物語を綴ってみました。

私はこの曲を聴くたびに、絵本を読んでいるような気持ちになるのですが、みなさんはいかがでしょうか?


立派なたてがみを持つライオン、金色の琥珀、一面に咲き誇るたんぽぽ。


これらの絵が脳裏に浮かんでは、ライオンの寂しさや涙の理由に思いを馳せて、いろいろなことを考えたり、想像したりしています。


この作品を読んで、否、聴いて、どんな感想を抱くのか、子どもたちにも聞いてみたくなるような、そんな曲です。


藤くん(藤原基央さん)の紡ぐ歌詞には、たくさんの余白があります。

それぞれの受け取り方があって、自分の気持ちとリンクさせたり、思い出とリンクさせたりしながら曲を聴くので、たくさんの感情がセットで記憶されているんです。

ダンデライオンを初めて聴いたとき、その歌詞に心を掴まれたので、今でも大好きな曲です。

少しでも気になった方は、ぜひ聴いてみてください。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

では、また。