こんにちは、悠です。
今回は、「おじいちゃんは宇宙人」シリーズ番外編、はてなブログさんの今週のお題「はてな手帳出し」にまつわる、祖父の手帳のお話です。
「おじいちゃんは宇宙人」シリーズ、前回のお話はこちら。
先日探しものをしていたら、テレビ台の下のひきだしから、祖父の昔の手帳が出てきました。
愛しさと、切なさと、懐かしさを感じつつ、なんだか気持ちがあたたかくなったので、書き残しておきたいと思います。
お時間のある方はぜひ。
几帳面でしっかり者の祖父
我が家の94歳の祖父は、認知症を発症する以前は、かなり几帳面な性格だった。
電車の運転士や駅長としての経験からか、時間にはめちゃくちゃ正確だし、何をやるにも、細部まで丁寧に確認する人で、そのこだわりは、認知症発症後も、時折発揮されている。
今回見つけた手帳にも、予定がびっしり書き込まれていて、私なんかよりもよっぽど使いこなしていた様子が垣間見える。
(個人情報保護のため、ぼかしあり。みっちり書き込まれた祖父の手帳。)
ゴミの日、地域のイベント、孫や親戚たちから電話がかかってきた日など……とにかく事細かに記載されていて、その丁寧さに驚いた。
私や母からかかってきた電話について記載されていたり、一緒に買い物や病院に行ったことが記載されていたり。
手帳でもあり、日記帳でもあるそれは、私にとって宝物だ。
今の祖父は、私のことがわからない。
名前を呼んでくれることはないし、孫だと認識してくれることも、ほとんどない。
(ごく稀に、誘導すると思い出してくれることがありますが、またすぐに忘れてしまいます。慣れたとはいえ、正直、寂しさを感じることも多いです。)
そんな中で2人向き合っていると、時々ふと、言いようのない虚しさを感じることがあった。
でも、この手帳を見つけてからは、元気だった頃の祖父の姿を思い浮かべて、その虚しさを紛らわすことができるようになった。
虚しさがなくなることはないけれど、以前より随分と、祖父への感情が穏やかになった気がする。
偶然見つけた祖父の手帳は、私にとってとても大切な、お守りのような存在である。
手帳に残る優しい祖父の姿
(祖父の手帳の5月のページ。)
私の誕生日。
2016年の祖父の手帳にはこう記されていた。
「○○のたんじょうび。お祝いTELした。」
枠外には、「朝、TELしたが授業中であった。15時20分TELあり。」の文字。
ああ、そうだ。
たしか、1限の授業中にかかってきた電話に出られなくて、その日の授業が終わってから折り返したんだ……。
なんて、私自身も忘れていた記憶をぼんやりと思い出した。
・この翌年は、祖父が体調を崩してしまい、電話がかかってこなかったこと。
・さらに次の年からは、祖父に認知の症状が出始めて、私の誕生日を忘れてしまったこと。
・この年が、祖父から電話で誕生日を祝ってもらった最後の年だったこと。
祖父と私の思い出が、こうして形に残っていることが嬉しかった。
祖父の手帳を見ると、誰とどこにご飯を食べに行ったのか、何の目的でどこに買い物に行ったのか……など、何気ない日常の景色が浮かぶ。
タクシーに乗って行ったのか、散歩がてら歩いて行ったのか。
そんなことまでしっかり記載されていて、そのマメさに改めて驚いた。
時々、当時の芸能ニュースがメモ書きされているのも興味深い。
(祖父の手帳に記されていた渡瀬さん死去のニュース。)
自分の血圧と共に、「渡瀬恒彦さん死去 72才」と日付入りで記載されていて、祖父にとっての衝撃の大きさが窺える。
他にも、朝ドラの始まった日が記載されていたり、近所でのあれこれが記載されていたり、祖父が何を見て、何を感じていたのかを、少しだけ共有できた気がして嬉しかった。