こんにちは、悠です。
今回は、先日観劇した『エリザベート』花の会貸切公演について。
いろいろなことがあって、正直、なかなか心は晴れません。
でも、何もせずにいるよりも、瞼の裏に浮かぶ劇場の光景を少しでも残しておきたくて、こうして筆を執りました。
今の気持ちを、今季の花總さんの『エリザベート』を観たんだという証を、ここに記しておきたいと思います。
お時間のある方はぜひどうぞ。
どうか、ここから先の地方公演では、カンパニーのみなさんが健康で、誰一人欠けることなく、博多座の大千穐楽まで駆け抜けられますように……どうか……。
はじめに
今季の『エリザベート』が、帝国劇場での千穐楽を迎えることができず、なんだか消化不良のまま、日常を過ごしている。
今回私は、祖父母の介護との兼ね合いで、帝国劇場公演は花の会(花總まりさんFC)貸切公演のみに絞っての観劇だった。
叶うなら、改修前の帝国劇場で、もっと花總さんのエリザベートに会いたかった……。
そう願うほどに、花總さんの今季のエリザベートは素晴らしかった。
フォロワーさんが呟かれる感想から舞台の熱量を感じ、自分自身の観劇の日(2022.11.20)も、無事に幕が上がることを願って、粛々と生活していたのだが。
11月13日の夜、悲しいお知らせが届いた。
11月14日・15日の公演中止。
もしかしたら、帝国劇場で花シシィを観られないかもしれない。
とても不安で、怖かった。
公演の再開を願うことしかできず、16日にお知らせが来るまで、ずっと心配していたのをよく覚えている。
祈りが通じたのか、花の会貸切公演の幕は無事に上がり、私と母は、今季の花シシィを観ることができた。
カンパニーのみなさんの熱演に心震える、素晴らしい舞台だった。
しかし、その後、再び公演が中止に……。
一度でも観られてよかった……と、どこかほっとしている自分がいて、罪悪感にも似た感情を抱いたし、どうしようもない現実を憎んだりもした。
観劇予定だった方々のやるせない気持ちを思ったら、胸が張り裂けそうで、落ち着いてはいられなかった。
結局、そのまま千穐楽まで幕が上がることはなく、『エリザベート』の帝国劇場公演は終わってしまい、円盤化の件もあって、心には靄がかかったままである。
この靄は、おそらくずっと晴れることはないだろうが、『エリザベート』の公演は、御園座・梅田芸術劇場・博多座と続いていく。
それに、観客と同じくらい、いや、もしかするとそれ以上に胸を痛めているであろう出演者のみなさんのことを思うと、落ちてばかりはいられないわけで。
前を向いて進まなくてはならないカンパニーの覚悟と決意を、応援することしかできないが、ここから先の『エリザベート』カンパニーの旅路が守られることを、心から願っている。
繰り返しになるが、博多座の大千穐楽まで、カンパニーが欠けることなく、無事に走り切れることを祈って、私自身も対策を万全に、観劇の日を待ちたいと思う。
本編感想
花シシィへの思い入れ
花總さんのエリザベートを初めて生で観たのは、2015年の帝国劇場だった。
宝塚歌劇団在団中からファンだったが、花總さんが演じられた『エリザベート』は映像でしか観たことがなかったので、当時は本当に嬉しかったのを、今でもよく覚えている。
そこから7年。
2016年は花芳(花總まりさん×井上芳雄さん)コンビの達人ぶりに湧き、2019年は花古(花總まりさん×古川雄大さん)・花成(花總まりさん×成河さん)の化学反応に震え……2020年のツアーも心から楽しみにしていたのだが、残念なことに、全公演が中止となってしまった。
ショックだった。
当時は、自分自身がもう少し自由の身であったため、今回よりも多く観劇するつもりだったし、組み合わせ違いでチケットをご用意いただけたので、何度か遠征も予定していた。
過去を振り返っても何も変わらないが、2020年に公演が出来ていたなら、今よりももっと自由に観劇できたのに……と、どこにもぶつけられない気持ちになることもあった。
そんな中で発表された2022年の再演。
もう花總さんの演じるエリザベートに会えないかもしれないと諦めかけていたので、この一報を聞いたときは、心から嬉しかった。
ご本人が背負う重圧やプレッシャーは凄まじいものだと思うが、幾度もエリザベートという役を演じてきた花總さんは、今回どんな風に役と向き合うんだろうか……と思うだけで、わくわくした気持ちになったし、幸せだった。
前置きが長くなってしまったが、ここからが本題である。
今回、花總さんの役との向き合い方に、改めて驚かされた。
進化とも深化とも違う、新しいエリザベートを観たという感覚に近い。
幾度もエリザベートを演じ、その都度評価され、称賛されてきたのに、そこに甘んじず挑戦を続ける姿に心が震えた。
今回の観劇キャストは、
花シシィ×古川トート×万里生フランツ×黒羽ルキーニ×涼風ゾフィー×甲斐ルドルフ。
2019年に観て、鏡同士だ……!と震えた花古コンビでの観劇である。
はじめてお芝居を拝見するキャストさんもいて、わくわくしながら席についた。
私が愛した花シシィ
可愛らしくて少し恥ずかしがり屋の少女シシィ
お人形さんのように無表情だった花シシィが、ぱあっと笑顔になる瞬間があまりにも鮮明で可愛らしくて、初っ端からきゅんとしてしまう。
獲物を狙って片目を瞑る仕草も、狙いが外れて悔しそうに息を吐く姿も、パパを見つけて弾ける笑顔もすべて、可愛らしい少女そのもの。
私が初めて観た2015年よりもさらに若々しく、こんなにも可愛い少女を演じられるなんて!と驚いた2019年よりもさらに愛らしく、幼くみえて驚いた。
歌声にも、より無邪気さが増していて、話すように歌っていたのが印象的。
無邪気にぎゅっとパパに抱きつく姿に、思わず頬が緩んだ。
家庭教師に対してのセリフ回しや動きも、より悪戯っぽくて可愛かったし、父親の行方を聞かれてしらばっくれるところも、表情がとっても豊かで目が離せない。
「愛と死の輪舞曲」では、見えない糸に操られるようなシシィの動きに改めて感動。
あのスピード感で、あそこまで自然に”踊らされている”感が表現できるのは、本当に凄いと思う。
体幹の強さ、身体の使い方、表情、魅せ方。
何をとっても本物のプロフェッショナルである。
「待って!」と声をかける花シシィが、あまりにも真剣にトートの方に手を伸ばすものだから、つられてオペラグラスを古川トートに合わせると、シシィの方に引っ張られるように戻ってきていてびっくりした。
双方が惹かれ合っているのが目に見えてわかって、なんだか不思議な感覚だった。
バートイシュルでの花シシィは……もう本当に可愛くて、愛らしくて、健気で……。
フランツに見初められるのも納得の可愛さだった。
鹿に瞳を輝かせたり、足をバタバタしてみたり、帽子でぱたぱたあおいでみたり、姉たちの様子を心配そうに窺ってみたり。
まあ表情がくるくると変わるし、愛らしいったらない。
マカロンを2つ取って食べようとしたタイミングで、姉の髪飾りの落下を発見。
マカロンをぐっと我慢して、時折愛想笑いを浮かべながら、姉のために髪飾りをつけ直してあげる姿は、姉思いの優しい妹そのもので、きゅんきゅんした。
フランツに手を差し出されて、その手を咄嗟に握った後、少し恥ずかしそうにぱっと離したのを見て、ああ……この子は家族の愛を受けて、のびのびと育ってきた、シャイな”ただの少女”だったんだな……と改めて実感してしまって、込み上げてくるものがあった。
そのあと、シシィがフランツのことをくるんと回していたような気がするんだけど……一瞬オペラグラスを下げたタイミングだったので、確証持てず。
でも、万里生フランツがおっと、となっていたので、おそらく回されてたと思う。
力加減がわからなくなってしまうシシィが、うぶで可愛くて、守ってあげたくなった。
「あなたが側にいれば」で、こんなにも不安を感じたのは初めて。
花シシィの幼さが際立てば際立つほど、万里生フランツが皇帝として勤勉であればあるほど、2人のすれ違いがこの時点で色濃く感じられて……。
2人がお互いを理解できると信じていて、お互いを大切にしたいと思っているのが伝わるので、より一層泣きたくなる。
”愛はどんな傷をも癒すことができる”と信じ続けたフランツと、”愛にも癒やせないものがある”と気づいて諦めてしまったシシィが脳裏に浮かんで、いろいろとだめだった。
結婚式のシーンは、花シシィのドレス捌きが華麗で魅入ってしまう。
とにかく可愛い。
ドレスも、花シシィもめちゃくちゃ可愛い。
「最後のダンス」での古川トートがはちゃめちゃに綺麗なのに、野獣みたいに怖いので、花シシィが本気で怯えていて、可哀想だった。
古川トートは、吠えるし、すごい勢いで迫るし、ぶんぶん振り回すし……そりゃ嫌がられるに決まってるじゃん……と思ったが、シャウトが格好良かったので、まあ良しとする。
トートダンサーと一緒に踊る(というと語弊があるが)花シシィの動きが以前にも増して無重力感たっぷりで、感動した。
「愛と死の輪舞曲」のときもそうだが、花シシィの動きが、糸で吊られたマリオネットのようで、とても印象に残っている。
「皇后の務め」の涼風ゾフィーさまがあまりにも怖くて、美しくていらっしゃるので、まだ幼さの残る花シシィとの対比がえぐかった。
布団をめくられるシーン、花シシィが目を逸らして、信じられない…というショックの表情を浮かべるのが辛くて……。
いくらなんでも、あんな風にあからさまにやらなくても……とシシィ側の気持ちに共感してしまった。
フランツを呼ぶ震える声、フランツに縋る細い腕、「僕は君の味方だ」と言われたときにふっと光が差す瞳、「でも」と続くフランツの言葉に翳っていく表情……。
フランツに「わかったかい?」と酷く優しい声で語りかけられ、縋っていたシシィの腕がくたりと力なく落ちる様子を、すべて目の当たりにしたせいで、シシィの心情の揺らぎと失望が伝わってきて、胸が痛くてたまらない。
フランツ……!あんたって人は……!となったし、「あなたは私を見殺しにするのね」とシシィが溢した言葉に、胸が引き攣るような感覚だった。
シシィの味方である前に”皇帝”であったフランツと、”皇后”である前にフランツを愛するひとりの人間だったシシィとの差が、はっきり表れていて、しんどいものがあった。
自我に目覚め、少しずつ成長していくシシィ
「私だけに」の花シシィは、これまで観たことのないシシィだった。
幼さを隠し切れないシシィが、ぽろりぽろりと言葉を溢すように歌が始まり、曲中に瞳の輝きを取り戻すまでの変化は圧巻。
涙をぐいっと力強く拭う仕草が心に残っている。
力任せに涙を拭う幼い仕草とは裏腹に、瞳には決意の色が宿り、ぐっと前を見据えている。
シシィの表情から、ひとときも目が離せなかった。
この曲の中で、たしかにシシィは自我に目覚めるけれど、完全にすべてを理解して大人になったわけでも、急に強くなったわけでもない。
”私の人生は私だけのもの”と信じて疑わない真っ直ぐさ、”誰にも束縛されず自由に生きる”のだという前向きなパワー、それらを自らの手で実現するんだという希望に満ちているのに、どこか脆くて不安定な姿……。
揺らいで、迷って、でも、信じて。
幼いシシィの中にある葛藤が、ここまでシンプルに胸に刺さったのは初めてだった。
凄いものを観た。
結末も、彼女がたどる道も知っているのに、ハプスブルクの紋章に向かって叫んでいるシシィを観たとき、どうか彼女の望むまま、自由を勝ち取って、幸せに生きてはくれないだろうかと願ってしまった。
心が震えるという感覚を、久しぶりに味わって、ゾクゾクした。
どれだけ言葉を尽くしても足りない。
素晴らしかった。
「娘はどこ?」と尋ねるシシィの表情には、まだ緊張の色が感じられて、きっと勇気を振り絞って、「返してください!」と言ったんだろうなと思うと、応援したくなる。
フランツに訴えるときには、まだ彼に対する希望を持っていたようにみえたのに、取り合うことなく、あくまでゾフィーの決定に従おうとするフランツをみて、シシィの表情がすっと変わったのが印象的だった。
自らの強みに気づいたあたりで、シシィの表情がまたぐっと大人になるのが凄いなと思う。
あの短い曲の間で、きちんと年数が経過していく様は、何度観ても凄い。
「エーヤン、ハンガリー……!」
このセリフの前の不安そうな表情、決意して一歩踏み出す瞬間の表情、受け入れられたと感じ浮かべる安堵の表情までの流れも美しい。
微かに震える声が、シシィの不安と期待が入り混じった心情を表しているようだった。
娘のゾフィーの死を突きつけられたシシィの悲しみが、より深く重くなっていて、観ているこちら側の胸も痛かった。
古川トートの声が甘美に響き、花シシィの悲しみを際立たせていたのが印象的。
居室のシーンは、正直なところあまり記憶がない……。
食い入るように観ていたら、あっという間に終わっていた。
ここでも古川トートの誘惑が甘美だったことと、やたら花シシィに優しく触れていたことと、揺らぐ花シシィの表情がとても美しかったことは覚えている。
成熟した美しさが頂点に達したシシィ
鏡の間。三重奏。
言葉では到底伝えられないけれど、本当に素晴らしかった。
重なり合う3人の歌声の調和、演技の熱量……すべてが圧巻だった。
花シシィの圧倒的な存在感と、場を一瞬にしてのみこむオーラ。
振り向いて、すうっと呼吸をするだけでも、息を呑むほどの美しさで、劇場が静まり返っていた。
万里生フランツは涙ながらに花シシィに向けて手を伸ばしているし、古川トートは身を捩るように花シシィに熱視線を送っていたけれど、この日は間違いなく、花シシィの一人勝ちだった。
決してフランツを突き放しているわけではないけれど、彼の腕に縋って涙を堪えていた頃のシシィはどこにもいないんだと言い聞かせるような、立ち振る舞いが凄まじく美しい。
この日の花シシィは、鋭利で誰も寄せ付けないような美しさではなく、広く大きくすべてを包み込んでしまうような”強さ”と美しさを纏っていたと感じている。
こういった感覚になったことも、これまではなかったので、花總さんのエリザベートへの解釈に、また驚かされた。
ここからは2幕。
まずはじめに、「私が踊る時」について。
今回の花古コンビは、姿形が似ていても、完全なる鏡には見えなかったのだが。
その代わりに、2つの魂が溶け合って、混ざって、ひとつになるような不思議な感覚にとらわれる瞬間が、何度かあったのが興味深い。
歌声が溶け合い、芝居が溶け合い、ひとつになる。
「私が踊る時」でも、その感覚になって非常にゾクゾクした。
勝ち誇った花シシィの強さと自信に満ちた歌声に、甘やかで絡めとるような古川トートの歌声が重なるのが心地良い。
息もぴったりで、2人がひとつに溶け合ったような不思議な高揚感を感じた。
孤独に苛まれたシシィ
精神病院のシーン。
あまりにもお芝居にリアリティがあるので、その場に居合わせたかのような感覚になる。
ヴィンテッシュを見つめて、ぼろぼろと言葉を溢すように歌う花シシィの感情がダイレクトに伝わってきて、かなりしんどかった。
諦めて、悟って、でも捨てきれないものもあって……。
必死に生きるシシィが縋るような視線を送る相手が、ヴィンテッシュしかいないというのがなんとも辛かった。
正確に言うなら、ヴィンテッシュを通して、自分が思い描いていた自由な未来を見つめているようで、思わず、視線を逸らしてしまった。
今回、一番心に残っているのが、コルフ島での「パパみたいに」。
精神病院のシーンでは、まだ自由を諦めきれない心が残っていて、揺れているように感じたけれど、ここでは、本当にすべてを悟って諦めてしまったような、酷く穏やかな表情をしていたのが印象的。
その穏やかさが、逆にしんどくて、胸が痛かった。
シシィは、もう自由には生きられないと悟ってしまったと突きつけられたようで……。
パパの魂とのやり取りも、穏やかで優しくて、うっすら微笑んでいたのが切ない。
「自由に生きたい」と歌う花シシィの表情が、今でも頭から離れない。
最期まで生ききったエリザベート
ルドルフの葬儀のシーンは、フランツの存在自体、見えていないかのようなシシィの姿が印象的。
ルドルフ以外の存在を消してしまったかのように、それこそ狂ってしまったかのような姿に、情けなくも手が震えてしまった。
幼い子どもの姿をしたルドルフを探すように、少し低い位置を彷徨うシシィの手と、幼子をあやすような優しい口調が辛くて……胸が張り裂けそうになる。
「ママは自分を守るため、あなたを見捨ててしまった」、「この罪は消せない……」のあたりで、幻は打ち砕かれ、シシィは崩れ落ちる。
ルドルフとの間に介入されることを拒むように、ひとり覚束ない足取りで棺に近づいていく後ろ姿が忘れられない。
シシィの憔悴しきった様子と、感情剥き出しの鬼気迫る歌声に圧倒された。
「死なせて」とトートに縋るところは、トートを食らわんばかりの激情が伝わってきて、胸が苦しくなる。
トートに拒絶され、階段を下りてくるときも、自らを嘲るように笑っていて、狂気と正気の狭間を行き来するシシィの姿に、劇場全体がのみこまれてしまったようだった。
まさしく全身全霊。
命を削りながら、その日のエリザベートを生き抜く姿が、脳裏に焼き付いている。
「夜のボート」のシシィは、これまで観た中で、最も優しく穏やかだった。
必死に抵抗して、足掻いて、藻掻いて、自由になろうと闘い続けたシシィの姿を知っているからこそ、その穏やかさに胸が痛む。
フランツは、まだ必死にシシィに手を伸ばしていたのに……シシィはすでに、手を取り合うことを諦めている。
それでも、フランツを愛していなかったわけではないのだということが、表情から伝わってきて、切なくて苦しかった。
あんなにも優しくて穏やかなのに、切ない気持ちになる「わかって、無理よ」は、初めて聴いた。
ラスト、昇天のシーン。
この日のエリザベートは、誰にもその身と心を渡さず、最期まで、自分の意志で生ききったようにみえた。
「泣いた笑った挫け求めた」と歌うときの表情がとても優しくて、トート(死)すらもすべてエリザベートが受け入れたのだと感じられるラストシーンだった。
エリザベートの視点から見れば、幸せだったと解釈できるラストシーンの表情が印象的。
花古の声の重なりが、エリザベートの心情の穏やかさを表しているようで、とても美しかった。
まるで絵画のような2人の並びと、歌声の重なりがあまりにも美しくて……。
まさに、2人の声が溶け合って、混ざり合って1つになったようで、幸せを感じられるラストシーンだった。
周りを彩るキャストのみなさん
古川雄大トート
美しさと妖しさに加えて、歌声の甘美さが増し増しになっていて驚いた。
「最後のダンス」のロックなアレンジも良い。
花シシィにそっくりなのに、得体の知れない何かにきちんと見えるし、あんなにも美しいのに、所々鳥肌が立つほどおぞましかったり、気味が悪く見えたりするのは凄いと思う。
そして、花シシィにめちゃくちゃよく触れる。
綺麗な手で、ふわっと触れたり、擦ってみたり、強く引き寄せてみたり……。
“死”という概念ではあるものの、比較的シシィに対する感情が見えやすい分、「愛と死の輪舞曲」が似合うなと個人的には感じた。
体操室のシーンの手つきが色っぽかったのと、悪夢のときのセリフなのか歌なのかわからなくなるような、熱量の高いお芝居が印象的。
格好良かった。
博多座の大楽で、花古の集大成が観られるのを心から楽しみにしている。
田代万里生フランツ
”良き皇帝”であるがゆえ、シシィの立場から見ると、もどかしくてしょうがなかった万里生フランツ。
どんどんフランツ本人に近づいているような、そんな凄みを感じる。
花シシィと古川トートが陰ならば、万里生フランツは陽だと思っているのだが、今季の万里生フランツは、陽の気を纏いつつもどこか苦しそうにみえた。
苦悩したり、涙を流したり、シシィに対しての感情がより深まっている印象。
お芝居の熱量が凄くて、鏡の間の三重奏や悪夢など、フランツの胸の内が見えるシーンが特に好き。
黒羽麻璃央ルキーニ
映像で観た何倍も良かった!
個人的に、ルキーニに関しては、あまりこだわりはないのだが。
(成河ルキーニの印象があまりにも鮮烈すぎたのと、花シシィ×成河ルキーニの化学反応が興味深かったために、彼が自分の中の基準となってしまい、結構困っています。成河ルキーニ、恐ろしすぎる……。)
歌も聴きやすくて安定しているし、芝居も違和感なく、ストーリーテラーとしてもばっちり。
個人的には、もっと毒々しくてもいいと思うので、ここからどのように深まっていくのか楽しみである。
涼風真世ゾフィー
涼風ゾフィーさまは、とにかくお美しい。
そして、たぶん一番怖い。
歌声にも佇まいにも、かつてその美貌を使って、国を、息子を守ってきたんだなという説得力がある。
大好きなゾフィー。
ゾフィーの死の場面では、1曲の中で彼女の胸の内が痛いほど伝わってきて、オペラグラスを持つ手が震えてしまった。
死の間際に、フランツ……と音もなく動く口元が印象的。
息子を心から案じている表情は、”一人の母親”であった。
素晴らしいゾフィーだった。
甲斐翔真ルドルフ
甲斐ルドルフは、フランツによく似ているのが本当に……。
花シシィと古川トートが纏う陰と対比するように、フランツと同じく、陽を纏っているように感じた。
父親と上手く対話ができていれば、いずれ良き皇帝になり得たかもしれないと思わせる、個人的には初めてのタイプのルドルフ。
真っ直ぐすぎて、身体だけが大きく育った子どものようだった。
父に母の話をして、母に政治の話をする。
真っ直ぐすぎるがゆえに、見事に毎回間違った選択肢を選んでしまうのが、観ていて辛い。
シシィに似ていないので、トートとの関係性もどことなく冷たくて、ルドルフが本当にひとりぼっちになってしまったようで苦しかった。